1 月明かりすら無くて

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1 月明かりすら無くて

 春は憂鬱になる。  医院で雇う新人の医療事務の子があまりに使えなくて、ベテランの事務員から愚痴を聞かされるのは、小野寺達郎の毎年の春の恒例行事だ。今年も案の定、同じことが起きそうな予感がしている。ただ、ベテランの石川女史は愚痴は言うが、一方で実は面倒見がよい。最初のヤマを乗り切ったら、新人も一歩前進するはずなので、なんとか使えるようになって欲しいのが本音だ。  新卒の子は、小野寺たちの世代からしたら宇宙人だ。何を考えているか分からないし、何が気に入らないのかも分からない。面倒なので、教育面はベテランに任せて、取り合えず愛想よく優しい院長であるようにしているが、笑顔の下の本性がバレたら、そっちの方が面倒かもしれない。  もっと面倒なのは、医者というブランドと外面の良さに騙されて、勝手に惚れられることだ。バツイチということで、これまた勝手にハードルを下げられ、餓えてもないのにグイグイ来られたことが何度もある。だから、さじ加減が重要になる。  小野寺が、早世した父親から引き継いだ内科医院は、経営も順調だ。元からソツのない方だという自覚があり、患者あしらいも上手い方だと思ってきた。  爺ちゃん婆ちゃんたちが、先生と会って話をするのが楽しみだと言ってくれるのは嬉しいが、とにかく話が長いので診察時間が自ずと長くなってしまう。待合室が混みだすとスタッフもイラつくので、上手いこと無駄話を切り上げさせて、回転を上げなくては。2週間後にまた診せてくださいねと軽く念押しして、機嫌よく引き上げてもらうのも、ここ数年で身に付いた芸のうちかもしれない。  ピンという音とともに、傍らに置いたスマホにメッセージが入った。大学時代の友人の佐伯からだ。名前を見ただけで用件が分かってしまうのは、付き合いの長さもあるが、お互いに便利遣いをしているからでもある。佐伯とは、ダイナミクスのDomとSubとしてあと腐れのないプレイ仲間になっている。  前にヤツに会ったのは、確か2週間くらい前だったか。そういえば、最近は野暮用が多くて、そっち方面はご無沙汰だったな、と小野寺は振り返った。  俺も枯れたな、と思う。齢37で、もうこれか。  元々、小野寺はそこまで欲求は強い方では無かった。一方で、容姿も職業も何もかも、あらゆる面のスペックが高いらしく、常に相手に不自由すること無く過ごしてきた。今だって、こうして佐伯の方からアクションを起こされているし、佐伯以外にもそういう相手は何人かいる。  それでも常に、満たされない思いが常に小野寺の中にはあった。  佐伯からのメッセージに目を通し、簡単な返信をした。やはり予想どおりの内容で、会う場所もいつもどおりだ。考えなくていいのは楽でいい。佐伯だって、そのつもりで自分を使っているのだ。  小野寺は、もう全てが面倒でしかなかった。  Domなんて、なにも良いことがない。正直うんざりし続けている。
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