ヒロイン誕生

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ヒロイン誕生

「ねえ、つぐみちゃん。奏汰くんも呼んでよ」  由奈ちゃんが言った。やっぱりそれが目的か、とあたしは内心ため息をつく。  カラオケのフリータイムというものは、あたかも青春そのもののようだ。歌いたい人は歌う。踊りたい人は踊る。すべてが許された空間が無制限に続いていくかのように、自分という存在を謳歌する。  しかし、それができない人は、所在なさげに時間が過ぎゆくのを待つだけだ。あたしは勿論そっちのクチで、もう何杯目かわからないドリンクバーのグラスに刺したストローを、マイク代わりにズビズビ言わせているだけだった。  由奈ちゃんが期待に満ちた瞳であたしを見つめている。キレイな()だ。なんというか青春の神様に選ばれし人間のような神々しさがある。 「ええ……。いきなり誘って、来るかなあ」  口ではそう言いながら、あたしには確信があった。奏汰は来る。あたしが呼べば、いつでも、どこへだって。あたしと奏汰は、そういう仲だった。 「じゃあ、いちおう聞いてみるね」  高校生活を円滑に送る為に、クラスにおいて上位カーストに属する由奈ちゃんの反感を買うことはさけたい。それに、毎回思うのだが、奏汰からしたらきっと悪くない誘いなのだ。だって、こんなに可愛い女子とお近づきになれるのだから。 《いまどこ?》  メッセージを送ると、すぐに奏汰からの返信があった。 《家だけど? どうした?》 《今、由奈ちゃんとカラオケに来てるんだけど。奏汰もこない?》 《いいよ。どこのカラオケ?》 《いつものとこ。二〇六号室》 《おっけー。三十分でつくよ》  しばらく経つと防音扉が開いて、奏汰が現れた。相変わらず颯爽と、という表現が無駄に似合う。 「奏汰くん、こっち、こっち」  由奈ちゃんが自分の隣のスペースをパンパンと叩き、奏汰は促された場所に座った。 「あれ、由奈ちゃん、髪型変えた? すごく似合ってるよ」 「ほんと? うれしい」  由奈ちゃんが頬を染める。奏汰は思ったことを簡単に口にする。性格がいいので、そのだいたいは褒め言葉となる。 「ねえ、なにか歌ってよ」  由奈ちゃんにそうせがまれた奏汰は、定番のバラード曲を歌った。  奏汰は歌が上手い。叙情的といえばいいのか、聞く人の心になにかを訴えかけるような歌声を持っている。 「すご……」  奏汰を見つめる由奈ちゃんのうっとりとした横顔。  奏汰の選曲に女子ウケを狙う意図なんてない。声も元からいいだけ。スラリとした長身も、柔らかな頭髪も、人懐っこい笑顔も、打算など微塵もない天然の素質だった。  つまり、コイツはずるい。あたしの唯一の幼馴染は、生粋の人たらしだった。  盛り上がる二人を見ているうちにあたしは居心地が悪くなって席を立ち、そのままカラオケボックスを出た。  夕方の町をとぼとぼと歩く。  うまく言葉にできないムカムカとした違和感が、胸の中を渦巻いていた。しかしそれは、悔しさや切なさといったわかり易い感情ではなかった。  あたしたち二人は間違いなく思い合う仲だった。しかしその関係には、二人が年頃の男女である以上、目を背ける訳にはいかない欠陥があった。  あたしと奏汰の間には、恋愛感情というものがまったく生まれないのだ。
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