奇跡の引きこもり

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あ、これは変わってないんだ。 電車自体は小綺麗になっていたが、 電車の機械音、独特の言い回しのアナウンス、そして走り出した線路のゴトンゴトンと心地よいリズムは昔のままで、それがオレを安心させた。 そんな事思ってる場合じゃないけど、オレ電車やっぱ好きだな。そんな事を考えながら端っこの席に座る。 休日の昼間だからか、電車の中はゆったりとした空気が流れていた。電車の中で慌てても仕方ない、久々の電車を楽しむ事にした。 遠くの景色がゆっくりと左から右へ流れていくのを見て、30年ぶりに外に出た事を実感した。 『布来門町駅に到着いたします』 2駅なんてあっという間だ。 ハッと我にかえり、ぶり返した冷や汗と共に電車の外に出る。 『もしもし?母さん今どこにいる?布来門町駅に着いたよ。』 『あっ!良かった良かった!改札口にいるから!』 改札口に行くと、オレを見つけた母が手を振ってきた。良かった元気そうだ。 …待てよ、親父がいない。親父に何かあったのか? 「母さん、カバン持ってきたよ。親父は?」 「あー!助かったわ!早く行かないと!!」 オレが渡したカバンをゴソゴソして母さんが出してきたのは、保険証、ではなく映画のチケットだった。 「せっかく映画の無料招待券もらったのに、招待券とか財布入ったカバン丸々と忘れて来ちゃってね〜!焦ったわよ!父さんは映画館で待っててもらってるの。」 「え?あの...保険証は?」 「保険証?そんなの欲しいって言ったかしら?母さんがカバン取りに帰ろうと思ったんだけどね、駅まで戻ったらICカードの残高無いことに気づいてね〜。財布も忘れて家にも戻るお金もないから、ダメ元でアンタを呼んだってわけ。まさか来てくれると思わなかったけど。」 その後も母はICカードさえあれば電車乗れちゃうから映画館着くまで気づかなかった〜とか、あんた映画終わるまでどっかで待ってたら?とかペラペラ喋りながら映画館の方に歩き出していた。 映画のチケット忘れただけだったのか…怪我とかじゃなくてとりあえず良かった... 冷えて止まってた血流がドッと流れて手足が温かくなるのを感じた。 「ちょっと!何ボーっとしてるの!映画もう始まっちゃうから、母さん行かなきゃ!アンタどこいる?映画館の近くに、プラモ屋あるからそこでも行ってたら?好きでしょ?」 「はいはい、スマホはあるから、終わったら連絡して。オレはそこら辺ブラブラしてるから。」 小走りで去っていく母の背中を見ながら、何となく同じ方向にゆっくり歩いて行く。 プラモ屋??この駅にある、映画館の近くのプラモ屋って確か....引っ込んだはずの冷や汗がまた顔を出す。 見覚えのある道を進むと、遠くに看板が見えてしまった。 “ハヤシホビー 鉄道模型・プラモデル” ああ、急いで来たからすっかり忘れていた。 この駅にはこの店があるんだった。 オレの最高の思い出と最悪の思い出は両方この店にある。 最高の思い出は、大好きな鉄道模型の店「ハヤシホビー」に就職出来た事。 最悪の思い出は… 「もう来なくて良いから」 今でも夢に出てくる光景。 ハヤシホビーに就職して1年。仕事も覚えてきて、毎日鉄道の事を考えて、お客さんとも鉄道の事たくさん話して、それで皆喜んでくれて。幸せな日々だった。 だから油断してしまったのかもしれない。 ハヤシホビーには名物の特大ジオラマがあった。 店主の林さんは頑固で口数少ない人だが、鉄道模型に対する情熱は半端なく、ジオラマも林さんが丹精込めて精巧に作ったものだった。そこに電車を置くと、イキイキと電車が輝いて見えて、いつか自分もこんなものを作れるようになりたいと思った。 ある日在庫整理をしていると、高い棚から箱を落としそうになってしまった。その下にはちょうどジオラマ。まずい!と思って慌てて箱を取ったは良いものの、自分がバランスを崩して、 ドーンと尻もちをついた。ジオラマの上に。 自分のお尻にも色々突き刺さって痛かったが、心の方が痛かった。 とんでもない事をしてしまった。恐る恐る立ち上がると、自分のお尻の形にジオラマが潰れていた。 「あの…林さん…すみません。棚から箱、落としそうになって、それ取ろうとしたら、ジオラマの上に転んでしまって…本当にすみません。」 自分なりに心から謝ったが、 「…もう明日から来なくて良いから」 静かに目を見開いた後に、視線を落としてボソッと林さんに言われたその言葉を覆す勇気は無かった。林さんの娘さんがオレたち2人の顔を交互に見てオロオロしていたのを思い出す。 林さんに言われた言葉もショックだったが、何よりも、 自分の好きなものを自分で潰してしまった。 その事実が心をキュウキュウと軋め、そこから立ち直れずにズルズル引きこもっていたら30年経っていた。
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