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国語の時間、教科書には高村光太郎『冬が来た』が掲載されていたのに、「じぶんで読んでおく」「テストにはだす」などと無謀なことをいいながら梅ちゃんはプリントを配りはじめた(教科書に記載されていることは自学自習が、うちの学校のデフォルトなのだ)。
プリントには、高村光太郎の、べつの詩が印刷されていた。
『おそろしい空虚』
「おそろしい、大切なだれかを失うことは。それこそ正気なんか保てない」
まだ若い梅ちゃんは結婚もしていないし恋人を亡くしたこともない(恋人がいたことがないらしい。それは梅ちゃんの外見がどう、というのではなく、かわいらしい顔立ちながら中身が男子といったことに起因しているらしかった)というのに、体験したかのように宙を見つめていた。
『智恵子の狂気はさかんになり
七年病んで智恵子が死んだ』
『私は精根をつかひ果たし
がらんどうな月日の流れの中に
死んだ智恵子をうつつに求めた』
『智恵子が私の支柱であり
智恵子が私のジャイロであったことが
死んでみるとはつきりとした』
『典型/暗愚小伝/おそろしい空虚』高村光太郎 著 より
そうか、恋人を失うとは
こんな気持ちになるのか
空虚
それはたいそう恐ろしい
ぼくがそう、斜め前の方で熱心にプリントを見つめる月子さんのうなじにこっそり視線をやったところで、すべての雰囲気を台無しにするように梅ちゃんが教室に意識を戻した。
「て、ことが、あると思う? 現実として」
えぇ! 台無し! ほんものの恋をまだまだ知らないとか、若僧相手に、夢を見させてほしかった!
果たしてそんな恋があるのかどうか、あるいはそんな夫婦愛が存在するのかどうか。
たっぷり一時間かけた、それがほんじつ、国語の時間の課題であった。
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