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「馬鹿野郎!」
一徹の怒号は、表にまで響いた。
店に入ろうとしていた若い主婦の客は、方向転換して一件隣の八百屋に向かった。
中にいた2、3人の客も、そそくさと買い物を済ませて気まずそうに店を出る。
聞こえてきたのは、怒声だけではない。
この時代には、どこの家庭からも普通に聞こえてきた音である。それゆえに、音の違いに敏感だ。
パチン!という、よく響く音ではない。
もっとくぐもった、外に発散されずに対象に吸い込まれていくような、逃げ場のない音。
それに続いて、ある程度の重量があるものが板の間に倒れるような、ダンっという音も聞こえた。
東京は下町にある一徹の家は、祖父の代からの魚屋である。
田舎に疎開していた時期と戦後の混乱期をのぞいて、一徹も幼少の頃より店を手伝い、祖父や親父、店の手伝いをするお袋の背中を見てきた。
跡目を継がせようと、厳しく躾けた親父は、あと数ヶ月で終戦というときに徴兵され、そのまま帰らぬ人となった。
片親で育ててくれた母親は店の経営からは一線を引き、今は店の方はすべて一徹とその家内の美恵子に任されている。
戦中戦後にずっと店を守ってくれた祖父は、もういない。
美恵子との間には、来年中学に上がる一人息子の純一がいる。
純一の教育方針に関しては、魚屋を継がせたい一徹と、このご時勢、大学まで行かせたい美恵子との間で、よく言い争いになる。
一徹は学校の宿題よりも店の手伝いをさせたがるのだが、決まって美恵子は反対する。
そんなとき美恵子が言うのは、日本はもはや変わったのだと、もはや戦後ではないのだと、この秋には、オリンピックが東京で開かれるのだということだった。
これからは国際化社会なのだ。
たとえ下町の商店街の魚屋であっても、学がない人間は肩身の狭い思いをすることになるのだ、と。
一徹にとっては面白くないが、この店を再建するにあたって、美恵子の実家から相当な資金援助をしてもらっている手前、あまり強く出れない。
美恵子の父親は都立高校の教師である。
美恵子も、戦後の混乱さえなければ大学に行っていたと、よく悔しそうに話している。
それだから、一人息子の純一をどうしても大学まで行かせるのだと張り切っている。
そんな美恵子とは、疎開先の田舎で出会った。
子供にとって疎開することは不幸なことに違いないが、そうでもなければ、下町の魚屋の一徹と、山の手育ちの美恵子とが出会うことはなかったであろう。
子供時代の淡い恋が大恋愛に発展し、美恵子の両親の反対を押し切って結婚したという経緯がある。
こういう仕事をしていれば、自然と筋肉がつく。
一徹は痩せてはいるが、よく陽に焼けた腕にはゴツゴツとした筋が張っていた。
子供の時分は悪ガキとしてならしている。喧嘩は日常の遊び。自然と人を殴るときの力加減は身についている。
息子のいがぐり頭をポカリとやることは普通にあったが、たんこぶをこしらえるほどではない。
本気で殴ったはずはない。無意識に手加減が入る。
だが、このときはいささか歯止めがきかなくなっていたかもしれない。
自分も悪さは色々とした。でも、祖父や親父の背中を見てきて、それだけはしちゃならないと、自然に思うようになった。
それなのに。
どうも店の勘定がおかしいことに気づいたのは3カ月前だった。
店に来るのは近所の見知った顔ばかりだ。その場で負けることもある。いきおい、どんぶりになりがちだ。
義務教育しか出ていない一徹と違って、都立高校卒の美恵子はきちんと勘定を付けようとするのだが、江戸っ子が細かいことなど気にしてられるかという気概がある。
こういうとき最初に気付くのは母親の方である。
相談されたときには、まさかと思ったが、罠をかけてみれば案の定である。
客の応待を家内に任せて、夕暮れどきの忙しい時間に無理して家の中に入ってみると、純一がタンスの引き出しから店の売り上げをくすねる、決定的な現場に出くわしてしまった。
「馬鹿野郎!店の金に手をつけるとは、どういうことだ!」
純一は口元から血を流して、床に横たわっている。
強く殴りすぎたか、と思ったが、純一は首だけ回して反抗的な目を父親に向けた。
「お、俺は、そんなふうにお前を育てた覚えはないぞ!この金は、じいさんと親父が必死に守ってきた店の金なんだ。その金を、その金を!誰の金に育ててもらってると思ってるんだ!」
怒りで体が震える、などということは初めてだった。
別に品行方正に育ってくれなくてもいい。
自分も子供時分はよく悪さをしたタチだ。男の子は元気すぎるぐらいでちょうどいい。
多少のことは大目に見てやってもいいと思っていた。
勉強ができなくても叱ったことはない。テストでひどい点を取ってきて、美恵子に叱られるの純一をかばうのは一徹の方だった。
だが、店の金に手をつけることだけは、どうしても許し難かった。
「ちょっと、あんた!店の前まで聞こえるよ!」
客が引けたのか、美恵子が家に入ってきた。
血を流して倒れている純一を見て、血相を変える。
「あんた、なんてことをするの!」
最初に純一を疑ったのは美恵子の方だろうに、と思ったが、こういうとき本能的に子供を守ろうとするのは母親である。
心配そうに息子の側に屈み込んだかと思うと、自分より頭一つ分以上大きい一徹に組み付いてきた。
「馬鹿野郎!」
「いや!」
女に手を上げたのは初めてである。
この時代、当たり前とは言わないまでも、亭主が女房を殴ることはあり得ないことではなかった。
だが、女を殴るなどということは、一徹の性には合わなかった。
「なにすんのよぅ!」
息子の側に倒れ込む。恨むような目で亭主をにらみつけると、わっと泣き崩れた。
「馬鹿野郎!お前が、お前が悪いんじゃねえか。大学に行かせるだとかなんとか言って。純一を駄目にしたのはお前じゃないか。魚屋がそんなもんなくたっていいんだよ。男はな、正直に生きてりゃそれでいいんだ。なにが大学だ。なにが国際化社会だ。なにがオリンピックだ。お前が世間にいい顔したいだけじゃないか。そんなに魚屋の女房が嫌なら、荷物まとめて出て行きやがれ!」
今ならこのまま離婚となるが、この時代、圧倒的な権力を持っていたのは男の方である。
少々の夫婦喧嘩なら、お前いったい誰の金で食わせてもらってるんだ、の一言で、亭主の勝ちにおさまる。
一徹も、こんなことを言って本当に美恵子が出て行くとは思っていない。だが、心のどこかに、まさかという気持ちもある。美恵子の実家には、美恵子と純一を養うぐらいの金はあるのだ。
「なにが、なにがオリンピックだ。真っ当にお天道様も見れないで、そんなことで他所様の国の人に顔向けできると思ってるのか。黙ってオリンピックがやってきたんじゃないぞ。国の偉い人たちが、汗水垂らして努力して、やっときたオリンピックなんだ。外国の人たちを迎えようと、大勢の人たちが寝ないで働いて道路を作ってんだ。代々木の競技場だって、駒沢の体育館だって、日本人の底力を見せようと、日本人の誇りを見せようと、みんなみんな、身を粉にして働いてんだ。それを、お前は、働きもせずに学校に行かせてもらってるくせして、お前には、日本男子の誇りはないのか。お前みたいな日本人ばかりだったら、オリンピックだって中止にならあ。そんなことで世界の人たちに顔向けできると思うな!」
一徹は昔気質の魚屋だ。顔で笑って腹で泣く矜持を持った人間だ。だが、このときは、ずっと我慢していた何かがあふれてきた。
「そんなんで、そんなんで、親父に顔向けできるかよ」
と、唇の端でつぶやいた。
「純一先生」
と、ぼくは呼ばれた。
ここの先生たちは、ぼくを呼ぶときはたいてい下の名前で呼ぶ。
おそらく、それはぼくがまだ30を少し出たばかりで、この学校にいる先生の中では下から2番目に若いということと、自分で言うのもなんだけど、それなりに他の人たちがぼくに親しみを持ってくれているということが関係していると思う。
それは生徒も同じだ。
平日の昼下がりの職員室。夏休みで閑散としている中、ぼくは学校に出てきていた。
先生というのは、夏休み中でも色々とやることがあって、何日かは出てこなくてはいけない。
いい知らせというのは、予感なしに来るものだ。
でもその逆は、なんとなしにわかる。それはおそらく、人間というのは野生動物だった頃の名残りが残っていて、本能的に危険を避ける仕組みが備わっているからだろう。
しかし、電気と車を発明してからの後、荒野から抜け出した人間は、たとえ事前に危険を察知したとしても、それから逃げずに立ち向かうことが美徳とされる鎖で自らを縛ってしまった。社会という。やれやれ。
校長先生に呼ばれるってことは、また何かのトラブルが発生したということだ。
多摩川を渡れば神奈川という東京のとある場所で、ぼくは公立小学校の教師をやっている。
モンスターペアレントだ、いじめだ、なんのと、なにかと問題の多い今の教育現場で、それなりに落ち着いた環境で仕事ができている。
ぼくが受け持っているクラスにも多少のいざこざはあるが、幸いにも、ぼくが児童に手を上げて懲戒に追い込まれるというような事態には、これまでなることはなかった。
なに、どんなに仲のいいクラスにだって、つまはじきに合う子供はいるものだし、どんなに物分かりがよくても口うるさい親は、どこの世界にだっているものだ。
勉強ができるから、(裏を返せば勉強しかできない)学校の先生になったというだけのぼくであっても、まずまずクラス運営はうまくいっているといってよかった。
だとしたら、なんだろう。
野生の本能のやっかいなところは、それが悪い知らせだということはわかっても、その内容まではわからないということだ。
だから校長先生の口から具体的に聞かされるまで、ぼくは不要に心拍数を上げねばならなかった。
不要に、というのは、それがある意味ではぼくに関係したことだけど、直接関係のないことだったからだ。
「そうですか。そういうことなら、ぼくが行ってきます」
給食費を払わない親がいる、というのなら、まだよかったかもしれない。いや、たとえそれが身内の不幸であっても、その方がまだマシに思えた。
4年2組のメンデス瑠偉という児童がコンビニで万引きをしたという電話が、学校にかかってきていた。
でも、ぼくは4年2組の担任ではない。
ぼくの受け持ちは2年続けて3年1組で、メンデス瑠偉は去年ぼくのクラスにいた。
彼の両親はブラジル人だ。別に最近じゃ珍しいことではない。彼の他にも、外国人の血を引く子供は、どの学年にも何人かいる。
去年のクラスにも、他にフィリピン人の母親を持つ女の子と、デンマーク人の両親を持つ男の子がいたのだから。
彼は小さな痩せっぽちの子供で、肌は褐色で、髪はカールだった。
背は低いが運動神経がよくて、ブラジル人の血を引いている子供らしく、サッカーが得意だった。
成績も良く、国語で他の子に遅れをとるということもなかった(なにせぼくが教えていたのだから)。
友達も多い方だったと思う。両親は離婚してしまっていて、母親と二人で暮らしていた。
彼の母親は長い黒髪に褐色の肌をした美人で、片言の日本語で真っ直ぐにこちらの目を見て話すのが印象的な人だった。
水商売だったが、家計が困るようなことはなかったはずだ。給食費もちゃんと払ってくれていた。
ただ、収入面で言えば、安定した職業ではない。今の状況は変わっているかもしれない。家計も、クラスの仲も。
彼は同級生から、ペッポと呼ばれていた。
詳しいことは覚えていないが、確か彼のミドルネームだか何かに由来していた。
それでぼくもペッポと呼んでいた。他の先生も、ペッポ君とか呼んでいて、誰もメンデス君と呼ぶ人はいなかった。
だから校長先生に、メンデス瑠偉君が万引きをしたと言われたとき、何の話だろうと一瞬思った。
ペッポはコンビニでアイスクリームを万引きしようとして、アルバイトの店員に見つかったらしい。
どうやらこれが初めてではなく、何度かその店員に怪しい動きを目撃されていたという。
奥で店長が問い詰めても、ペッポは頑なに親のことを喋らなかった。
店長が警察につき出そうとしたとき、ようやくペッポは口を開き、ぼくの名前を言ったというのだ。
今の4年2組の早川先生は、50に手が届こうかというベテランの女の先生だ。
ぼくと違って子供好きするタイプであり、クラス経営に定評がある。
一学年に2クラスしかない都会の学校である。持ち上がりではないが、クラスの半数は三年次と同じだ。
去年もぼくのクラスにはいじめのようなものはなかったし、早川先生のクラスでも、そういったことは聞いたことがない。
困るなあ、というのが正直な感想だった。
どうして今の担任ではなくて、ぼくの名前を出したのだろう。
ぼくはそれほどペッポと親しいというほどではなかったけど。
ちょうど夏休み中で早川先生が登校していないこともあり、渋々ぼくがコンビニまで行くことになったのである。おそらく謝りに。
「すいませんでした」
コンビニの奥の小さな部屋で、店長らしき人に頭を下げる。
店長と向き合うようにパイプ椅子に座らされたペッポは、宙のどこか一点を見つめて、口を真一文字に結んだまま微動だにしない。涙を流したような跡もなかった。
「困るんだよね、本当に。まあ、先生が謝ることじゃないけどね。こいつがどうしても親の名前を言わないんだから」
一旦はおさまったであろう、店長の怒りが再燃してくるのを感じた。
ブスブスといつまでもくすぶり続ける、粘着質なタイプだ。
おそらくペッポにも、かなり長いこと説教したのだろう。
でも、そのおかげですぐに警察を呼ばれなかったのかもしれない。
「たかだか百円かそこらのことかと思うだろうけど、本部は一円単位で見てんだよ。お金が合わなきゃ、まず従業員が疑われる。次に勝手に安売りしてんじゃないかと疑われる。あいつら、人を数字でしか見てないからさ。強盗が押し入ったって、表向きは人命尊重とか言っているくせして、時間稼ぎしなかったとかってネチネチ言われんだよ。刃物を持ったやつ相手に時間稼ぎもクソもあるかよ。この部屋何かわかるか?俺たちはこの狭い部屋で弁当チンして飯食って、ロクに休みも取れずに24時間働きづめなんだよ。夏休みがある先生が羨ましいね」
案の定、不満の矛先はぼくに向いた。
「こちとら、こんな外人のガキを養うために日本経済回してんじゃねぇっての。ウチはなあ、元々魚屋だったんだよ。じいさんか、ひいじいさんか、どっかその辺から始めて店守ってきたけど、時代の流れにゃ勝てねえんだ。郊外にできたショッピングセンターに客持ってかれて、商店街で生き残ったのは、ウチみたいに時代の流れに合わせて変わっていけたところだけよ。それなのによ、全くいいことがありゃしねえ。客に頭下げて本部に頭下げて。こんなんだったら八百屋みたいに潰れちまえばよかったわ。でもよ、今さら大学には入れねえ。俺もお袋の話を聞いて、あんたみたいに教師になりゃよかったわ。そしたら税金で食っていけたのにな。偉い政治家の人たちは、いったい何をやってやがんだか。俺がガキの頃は、こんなやつ近所にいなかったぜ。自国の人間も幸せにできねえで、なにがおもてなしだよ。外国にばかりいい顔してんじゃねえっての」
「本当に、すいませんでした」
ぼくはただひたすらに頭を下げ続けた。
店長も一通りぼくに怒りをぶつけたら(一通りどころか三通りにも四通りにもなったが)、落ち着いたようだった。
やっと解放されたときには、夏の長い陽が、二人の影を長く伸ばしていた。
ペッポとぼくは、お互い言葉を交わすことなく、トボトボと多摩川の河川敷を歩きながら学校へ向かった。
ひとまず戻って、それから彼を車で自宅まで送っていくつもりでいたが、当然、母親には連絡が行っているはずで、学校に母親が来ているかもしれない。
いつもだったら、今頃夕飯を子供に食べさせて、夜の街に出かけていくのだろうか。
そしておそらく、ペッポが起きているうちには帰ってこない。
それがどういうことなのか、ぼくにはわからない。ぼくの両親は、ぼくが寝るときにはいつも家にいたから。
多摩川の対岸には、川崎の街並みが見える。そういや、ペッポは二年生のときに川の向こうから引っ越してきたんだっけ。その頃は、まだ両親は離婚していなかっただろうか?
ぼくは生徒の情報をあまり知らない。知ろうともしない。
ペッポはもうぼくのクラスの生徒ではないけれど、もし自分のクラスでこういうことが起こり得るなら、ぼくは事前に察知できるだろうか。
「なあ、ペッポ」
学校までは、まだ距離がある。
「来年、オリンピックだな」
ペッポはズボンのポケットに手を入れて、うつむき加減に歩いていた。
「先生な、去年よくオリンピックの話してただろ。でも本当は、先生はオリンピックなんか興味ないんだよ」
ぼくはよく、授業中に子供たちが浮ついてしまって、集中力がなくなったときにその話題を持ち出した。
それは、生徒たちが興味があると思ったからで、実際、どうにも勉強が苦手ですぐにそわそわしてしまう子でも、その話をし出すと、ぼくの話をよく聞いてくれたからだ。
小学校三年生の彼らにとっては、ほとんど初めてのオリンピックだろう。
それも自国開催だ。それがどんなに貴重な経験かを、いつも興奮した調子で語った。
サッカーとか、ブラジル代表の話もしたと思う。
ペッポの他にも外国人の親を持つ子供は他にもいたから、オリンピックというのは異文化理解と国際協調のための貴重な機会だということを、なるべく子供たちにもわかる言葉を使って話したはずだ。
1964年の東京オリンピックが日本人にとってどんな意味を持つか、当時がどんな社会状況だったのかも話した。
ここまで話すと、子供たちの喰いつきは悪くなっていたけど。
「ぼくが生まれた年にはソウルオリンピックがあった。この話は何度もしたよね。記憶にあるのはアトランタからだ。小学校二年生の夏休みだった。柔道の選手が金メダルを取ったのを覚えてる。今思えば、そのときはまだ十分にわかっていなかったけど、とてつもなくすごいことなのだと思った。その次のシドニーも、その後のアテネもテレビで見たよ。でも、その次の北京オリンピックのときは、もうオリンピックなんてどうでもよくなっていた。ぼくはもう大学生になっていて、他に楽しいことが色々とあったんだ。日本人の誰がメダルを取ろうと、サッカーのスター選手が出場しようと、なんとも思わなくなっていたんだ。だから次のオリンピックが東京に決まったときも、なんだ、またやるのかって思った」
ペッポはまだポケットに手を入れたままだ。
「先生はね、別に教育熱心だからとか、そういうことで先生になったわけじゃない。親も公務員だったし、ただ勉強ができるからという理由で先生になったんだ。他に取り柄がないんだ。学生時代も何かに打ち込んだ経験はない。両親も健在だし、そんなに一生懸命に努力したとか、苦労したとかいうことがないんだ。だから今、君がどんな気持ちでいるのかわからないけど」
もうじき河川敷を下りて住宅地の道に入るというところで、やっとペッポは口を開いた。
「オリンピックなんて、なくていいよ」
「どうして?」
ペッポは俯いたままだった。
「ブラジルからなんて来なくていい」
なんとなく、今の彼のクラスの状況がわかる気がした。彼のクラスメイトは、ほとんどが去年のぼくのクラスにいた。
「フェリピンからも、デンマークからも、来なくていい。オリンピックなんて、なきゃいいのに」
「そうだな。無理にやる必要ないよな」
ぼくは河川敷の道が、このままずっと続けばいいと願った。
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