霧島殺人事件

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 言っときますがねお巡りさん。あっしは無実ですぜ。  この桐島正人(きりしまただと)、決して綺麗な脛をしているとは言いやせんが、人を殺すだなんて、そんな大それたことはとてもとても。  ましてやそれが実の父親となるとね。へっへっ。  殺してやりたくなるほど憎んでたってのは、正直に白状しちまいますがね。  でもだったら介護サービスを受けようなんて思わないでしょう。  その日だって、要介護認定をする人が見に来る日だったんですから。  どこのどいつが一体、今から人が来るってときに人殺しなんかしますかって。  へへ。そりゃあ早く死んじまった方が、あいつが貯め込んできたお金を早めに頂けて有り難いってのはあるんですけど、生きてりゃ生きてりゃで黙ってても年金が貰えますからね。へっへっへ。  見ての通りの小悪党でさ。  あいつも近頃じゃすっかりボケちまって、飯を食ったのに飯はまだかなんてね。  冷蔵庫に入れておいた饅頭まで食っちまってね。  甘い物嫌いの大酒飲みだったはずなんですがね。  まったく、厄介なもんですぜ、へへ。  でも放っておくわけにもいかないでしょう。虐待に当たるなんて言われたくないですから。  そこで、ここは一つ公共のサービスとやらを受けてみようじゃないかということでお呼びしたんでありやす。  こう見えて税金はちゃんと払ってるんですよ。年金だって滞りなくお支払いしておりやす。へへっ。  市民の義務は果たしてるんですぜ。  どうしようもない奴でしたが、一応あれでもあっしにとっちゃあ血を分けた肉親でしてね。  お袋はあっしが小さいときに家を出て行ったし、あっしも女房と子供には逃げられるし。  へへ、こんな奴でも結婚してたことがあるんでさ。  お巡りさんは?まだ独身ですかい。  まあ、お若いですから。そんなに急いですることもありませんや。  あっしみたいに逃げられちゃいけません。  へっへ。真面目な奴でしてね。  どうしてあっしみたいないい加減な男にあんな真面目な女が惚れたのかわかりませんけどね。  真面目な女ほど悪党に惚れるんでしょうかね。  世の中にはビッチなんて呼ばれる女だっているわけでしょう。  ありゃあ本当ですかね?  プロの女も色々と知ってますけど、ビッチなんてものにはお目にかかったことがございませんや。  あいつもそういういい加減な奴だったら良かったんですがね。  おっと、話が脱線しちまいました。  勘弁しておくんなせえ。モテない男ほど、たまにある話を大袈裟に言いたがるもんでさ。  でも結局、逃げられちゃあ、元も子もありませんや。へへ、やっぱり母親が逃げた家の嫁は逃げますぜ。  だからあんな奴でも、唯一の家族なんで。こう見えて自分が骨を拾ってやろうと思っていましたよ、へへへへへ。  それが、骨どころか、肉も皮もほんの少しだけ残っていた髪の毛も、全部どこを探しても見当たらないんですからね。  代わりにあるのは山でさぁ。  そりゃあ、疑われやすい顔だってことは認めますがね。へっへっへ。人間は見かけによらないってのは、ありゃ嘘ですぜ。  ええ。人の性格っていうのはね、やっぱり(おもて)に表れるもんでさぁ。  見れば大体分かっちまうんですよね、これが。  ああ、あいつは会社で相当悪どいことをやってきたな、とか、あの女房は食わせ者だとかね。へへへ。知らぬは旦那ばかりなり、なんてね。  あっしもこの(ツラ)ですから、今まで何回職務質問されたか分かりやせんや。  お巡りさんてのは、やっぱりプロだね。悪い奴の顔が分かるんだ。  おっと、あっしみてえな下級の人間にだってそのくらいのことは分かるんだから、国家にお勤めのお巡りさんにとっちゃ当然ですな。こりゃあ失礼しやした。  何しろあっしは小学校の時のあだ名がフョードル・カラマゾフってんですから。  口が滑ってしょうがねえんで。勘弁しておくんなせえ。  いやね、クラスの何処にでもいる眼鏡をかけた坊ちゃん刈りの秀才がね、おまえ、フョードル・カラマゾフみたいだなって。突然そう言ったんですよ。  それからすっかりカラマゾフになっちまって。  あっしはやめてくれって言ったんですがね、あっしの言うことになんか聞き耳持ちやしませんや。秀才の言うことならみんなハイハイって聞くんですけどね。  へっへっ。あのドストエフスキイのカラマゾフの兄弟ってのに出てくる悪人でさぁ。  あっしも、今じゃ見た通り悪人ヅラしてますけど、子供の頃は紅顔の美少年だったってのはそりゃあ言い過ぎですけど、普通にあどけない少年だったんじゃないかなって思いますがね。  こんなあだ名を付けられりゃあ、そりゃカラマゾフっぽくもなりますぜ。  でもその頃からカラマゾフの素質はあったんでしょうね。  人から見たら分かるんですよ、きっと。  自慢じゃあないが、なかなか小学生でヒョードル・カラマゾフなんて名前を付けられるガキはロシアにだっていないと思いますよ。向こうの子は天使みたいな顔してますからね、へへ。  え、なんでおまえがロシア人の顔を知っているのかって?想像ですよ、想像。大人でこんなに綺麗なら子供はさぞかしとね。  いえね、北海道に行ったときに少し。あっしだってもう還暦ですから、色々とやってまさぁ。  いえいえ、法を犯すような勇気はありません。見ての通り小悪党の小心者ですから。ちゃんとしたやつです、ちゃんとした。  お巡りさんも男だったら分かるでしょう。  へへ、あっちの方は善人も悪人も変わりませんから。おっと、また口が滑りましたね。失礼しやした。  ですからね、あっしのしたことは、山を崩しただけなんです。  ええ、霧島です。霧島を崩しただけなんです。  いえね、鹿児島と宮崎の境に立っている、本物の霧島を崩したってんなら、なんらかの罪に問われてもしょうがないかと思うんですけどね。役小角じゃあるまいし、小市民にゃ不可能です。  あっしが崩したのはね、そっちの雄大な方の霧島じゃなくて、家の中にあった霧島なんですよ。ええ、自宅にあった霧島です。  あっしもね、最初はどうしたもんかと悩みましたよ。親父が寝ていた布団の上に、急に霧島が現れたんですから。  自分がおかしなことを言っているっていうのはよく分かります。でも、それ以外に言いようがないんです。  朝起きて親父の様子を見に行ったら、そこに霧島があったんですから。ええ、4畳半に収まるサイズの霧島です。  すぐに霧島だって分かりましたよ。  夕日を浴びて山肌が赤く染まった霧島そのものでしたから。  いえ、あっしは登山なんてものには興味を持ったことはございやせんけど、へへ、うちにも一本ありましてね。  そいつをチビチビとやるのが、今のあっしの一番の幸せなんでさ。  そこに描いてある絵の通りの霧島があったんで、すぐにこれは霧島だと分かりましたよ。  へへ、お巡りさんからすれば想像がつかないでしょうけどね。還暦にならんとする男が芋焼酎をチビチビやるのが一番幸せだなんて。  ええ、そんな大きなことができる男じゃございません。ましてや殺人なんてとてもとても。  それでどうしたもんかとね。親父はどこを探しても見当たらないし、霧島はいるわでね、ここんところずっと悩んでいたんですよ。  ノイローゼってやつですね。ブハハ。  こんな下級市民でも、ノイローゼなんて立派な病気にかかるんですね。  いや、精神科なんていうお金がかかるところには行ってませんけどね。  大人しくしてくれりゃあいいけど、ドーン、ドーンとやるもんですから。  だって活火山でしょ、霧島って?  そいつがご近所の方々が聞いたっていう、人が争うような音がしたっていうもんの正体ですね。  あれは火山が噴火する音なんですよ、ねえ、お巡りさん。へっへっへ。  家の中で火山を噴火されてみなさいって。誰だって堪忍袋の緒が切れまさぁ。  だからね、思わずやっちゃったんですよ、空っぽの霧島の瓶で。芋焼酎の方の霧島です。  こいつが空になっていましたから。そいつでガーンとね。  え?なんで空になってたかって?いつの間にか飲んじまってたんでしょうなぁ。転がってたんですよ、畳の上に。  (やっこ)さん、その日も朝っぱらから夕日が当たったように真っ赤っかでね。ガツーンとやったら、一人前にマグマなんか吹き出して崩れていきましたよ。  こういうのもなんですけど、なんだかスッキリしましたね。  人間の力で自然を征服する快感とでもいいましょうか。自然と共生することが大事だっていうのは分かっていますけどね。  なんかこう、野生の力を解放したというかね、へへへ。世の中お題目ばかりでさぁ。  ちょうどその日が要介護認定の人が来る日だったんですよ。  さっきも言いましたようにノイローゼだったもんですから。日にちを数えるのを忘れてましてね。  その人もノイローゼなんじゃないですかね。桐島和夫(きりしまかずお)の死体を見たって。  介護関係の仕事も大変なんでしょ?  無理もありませんよ。毎日毎日頭のおかしな老人に付き合わされるんですから。  その人もお休みになった方がいい。たまには宮崎かどこか南の方に行って、のんびりとね。  何しろ山と死体を見間違えるくらいですから。  あれは桐島和夫の死体なんかじゃございません。頭から赤いマグマを垂れ流した、崩れた霧島ですよ。  ねえ、お巡りさん、あっしの言うこと、おかしくないですよね。  おや、さっきから疑いの目であっしを見ておられる。  この目を見てくださいよ。この目は小悪党の目でさぁ。お巡りさんに対して嘘をつくなんてことは、とてもとても。  ああ、久し振りに霧島がやりたいもんですな。お湯で割ってチビチビと、ね。へっへっへっヘッヘッヘ・・・。
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