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「昔……まだガキの頃だけど、あいつに命を救われてね。少しのあいだ一緒に過ごした」
「……私がビスクドールの元にいたと知ってて助けたの?」
「まさか。あいつとはもう何年も会ってなかった。片や怪盗、片や詐欺師……互いに忙しくて会う暇もありゃしない。……まぁあいつの方は、砂粒ほども会いたいなんて思っちゃいなかっただろうけどね。なんたってあいつの血は、真冬の朝一番に汲み上げた井戸水より冷たいんだ。あの腐った肉を見るような目……あぁ、ゾクゾクする……!」
ふいに寒気を感じたシャーロットは、にわかに息を乱したノワールからすっと視線をそらした。
「あいつと再会させてくれた君には感謝してるよ。早々に殺す羽目になったのは残念だけど」
「……っ……」
セフィアスの死が重く心にのしかかり、シャーロットは再び涙をこぼした。
「あぁごめん……つい悪い癖が出た。人を苦しめるのが生き甲斐でね」
ノワールの顔が近づき、赤い石の耳飾りがかすかに揺れる。
「あいつが死んだのは君のせいじゃないよ。だって殺したのは俺だし、非力な君には止めようがなかっただろ」
ノワールは耳元に唇を寄せ、「だからもう泣かないで」と続けた。
「俺をもっと興奮させたいなら、そのままでかまわないけどね」
にっこりと笑いかけられ、シャーロットは涙を止めようときつく目蓋を閉じた。
「君を売るのはやめにしよう。一緒に旅をすれば、そのうちあいつのことなんて忘れられるさ……お互いにね」
唇に吐息がかかる。すっかり泣きやんだシャーロットは、黒い瞳をまっすぐに見返した。「口づけの時に目を閉じないなんて珍しいね」と、ノワールがからかうように囁く。
「本当は誰なの? あなたは……」
「それはこれからその肌で知るんだよ……ミシェル」
ノワールは頬に口づけ、首筋に唇を寄せた。
「怖がらなくていい。俺はあいつと違って優しい」
(確かに違う……セフィアスとは。どんなに優しく触れられても、あんな風に胸は震えない。熱くはならない……)
「やめて……コーライ」
「……どうして?」
「何とも思っていない相手に、こんなことをするのは間違ってるわ」
きっぱりと言い切られ、ノワールは切なげにに眉尻を下げた。
「俺が君を愛していないとでも?」
「ええ……触れ方でわかる。……いいえ……今わかったの……」
言いながら涙があふれ、シャーロットは引き裂かれたように痛む胸に手をあてた。
(今さら気づいたって、もう遅いのに……)
「あぁ……まいった。その涙は俺の苦手なやつだ。それにそろそろ幕切れらしい」
ふいにノワールは晴ればれとした笑顔を浮かべた。まるで役を演じきった役者のように。
「楽しい時間をありがとう、ミシェル。君はまごうことなき天使だ。レヴィアの泉のごとく清らかなその心は、誰にも穢せまい……たとえ悪魔でも」
ノワールはシャーロットの手をとり、白い指先にそっと口づけた。その唇がぼそりと何かつぶやいたのと同時に、船室内に凄まじい破壊音が響いた。
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