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アエラス王国へ②
ヘイデンはジルベルトと超突・別離の後、生まれ故郷であるアエラス王国へと戻っていた。ヘイデン・マーク、森の精霊の祝福と加護を受けたクライスラー侯爵家の次男で、四つ年上の兄と、二つ年下の妹がいる。長男が家を継ぐ事になっていたし、彼本人もそのつもりで何の不満もなかったのでヘイデンと妹は気楽に自由に、愛情豊かに育てられた。ヘイデンは幼い頃からあらゆる分野でその天才の片鱗を見せた為、クライスラー侯爵家の専属家庭教師よりシュペール帝国の王立学園への入学を薦められる。そこで出会ったのが、ジルベルトとキアラだった。
クライスラー侯爵家は、とても珍しい邸宅だった。凡そ2500年程前の「日本」という国で後に『平安』と呼ばれるようになった時代の貴族の邸を模倣したもので『神殿造り』というものだ。先々代の趣味という事らしい。そのままの模倣だと、防暑・防寒には適して居ない為、魔術で保護と強化がされているという。使用人たちの服装は男女共に、動きやすいという直垂姿なのは興味深い。
ジルベルトたちが通された部屋は、庭園が見渡せる釣殿という場所だった。月見や花見などを観賞する部屋らしい。遣り水や橋、草木や花の配置などもその時代を模倣しており、静寂を封じ込めたかのような不思議な魅力に溢れていた。
……キアラが見たら喜びそうだ。『十二単を着てみたい』と歴史を勉強した時に言っていたっけ……
一瞬だけ、ジルベルトの脳裏にキアラの幻が掠めた。
さて、そんな中、ヘイデンは……さすがに直衣や狩衣姿ではなくネイビーのスーツ姿のまま、フカフカの座布団と呼ばれるもの……これはこの時代のものではないらしいのだが……に正座をし、ジルベルトを睨みつけている。
対するジルベルトたちもまた、座布団というものに正座をしてヘイデンに向き合っていた。ヘイデンに向かい合うようにしてジルベルトが、半歩ほど下がって右にオスカー、左にジョシュアという風に並んでいた。
『よう! 久しぶりだな? この低能色ボケ屑男』
会うなり開口一番、そう吐き捨てたヘイデンは、その後はずっと沈黙を貫いたままだった。
……低能色ボケ屑男、か。確かに、そう言われても仕方のない状態だったな。俗にいうトチ狂ったって奴だよな……
ジルベルトは自嘲しつつも、わざわざ迎えに来て自邸に招いてくれた事に礼を述べた。そもそも、こうして会ってくれる事自体が有難いのだ。どのような罵声を浴びせられても仕方がない。だから事前に、オスカーとジョシュアには何もしないように命じておいた。立場上、どのような理由でも主君を優先して守る事が彼らの絶対任務の一つだったからだ。
……と、覚悟を決めていたものの……『沈黙が痛い』という言葉があるが、この時ほどその表現が的確なのだと実感した事はなかったとジルベルトは思う。果たして、この沈黙を破るべきか相手が切り出すのを待つべきかその判断に迷っていた。
けれどもほどなくして、あっさりとその沈黙を破ったのはヘイデンだった。
「相変わらずのヘタレっぷりだな。そういう部分が、計算高い女に付け込まれるんだよ」
ヘタレという意味がよく分からなかったが、文脈からして「腰抜け、意気地なし」の俗語だろうと当たりをつける。ヘイデンは感情が高ぶると、時々意味不明の語句を使う癖があるのだ。彼の研究分野の一つに、「古代俗語とその文化」というものがあるからそこから来るものだろう。その辺りの分野がキアラも好みらしく、時々二人で「古代俗語」で会話をしていた。正直言って、二人に妬けていたのは秘密だ。
「そうだな、その通りだと思うよ。本当に馬鹿だった……」
ジルベルトは項垂れた。本心だった。
「先ず、お前に謝罪するのが筋だな。本当に、申し訳なかった」
と頭を下げた。「土下座」と呼ばれるものに準ずる動作だろうか。ヘイデンはギョッとした様子で目を見開いた。
……あのプライドの塊のような男が頭を下げた?!……
過去の関係性の繋がりから、条件反射のように「頭を上げてくれ」と言いそうになるのを辛うじて留め、平静を装う。
「で? 今更何しに来たんだ? あれから一年は経ってるだろう? 聖女様とやらのラブラブ生活で、そろそろご懐妊か? 脳内色ボケ花畑に花が咲き乱れ過ぎて、自己満足自己陶酔の為に謝罪に来たとか?」
あからさまに馬鹿にし、挑発するように言うヘイデンにオスカーとジョシュアがピクリと僅かに反応を示した。すぐにその気配を察知したジルベルトは、右手を軽く挙げてそれを制した。静かに、されど真っすぐな眼差しをヘイデンに向けると、ゆっくりと口を開いた。
「いや、彼女とは一度も、最後までしていないんだ。男として役に立たないんだ」
刹那、ポカンと口を開けたヘイデン。だがその意味を脳内で反芻、意味を理解するや否や豪快に笑い出した。
「そりゃいーや、ハハハ……それこそ悪女の呪いだってか? ざまぁみろ! てんだ」
腹を抱えてひとしきり笑うと、笑い過ぎてだ涙の溜まった目元を右手で拭った。そして冷酷な印象を受けるほどの真顔に戻ると、ハシバミ色の双眸に怒りを滲ませた。
「……まさか、謝罪する事で呪いとやらを解こうとかしてるのか?」
底知れぬ怒りを垣間見てジルベルトは思う。彼の流した涙は、果たして笑い過ぎた生理現象だけが原因だったのだろうか? ヘイデンの問いかけに対して、ゆっくりと首を横に振る。
「いや、そうじゃない。本当に今更でどの面下げて……だろうけど。取返しのつかない間違いを犯した事に漸く気づいたんだ」
ヘイデンは毒気を抜かれたようにジルベルトを一瞥すると大きな溜息をついた。再び沈黙が訪れる。ややあって、ヘイデンは天を仰ぐと、溜息混じりに口を開いた。
「それなら、ここに来る前に確認すべき事があるだろう? まさか、逃げている訳じゃないだろうな? 愛しの聖女様とやらの真実から」
「あぁ、それなら対策はして来た。今は泳がせているところだ」
とジルベルトは応じた。
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