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アエラス王国へ③
「『敵を欺くには先ず味方から』、昔から言うだろう?」
ジルベルトは、『解せない』という顔付きで見ているヘイデンに説明を続ける。
「いつも通りに、『後は任せた』という感じで出て来たんだ。三か月もすれば警戒も薄れてくる頃だし。半年も経てば気持ちも緩んで油断してくるだろう。聖女を取り巻く人間模様を炙りだすつもりだ」
ヘイデンは少し考えた後、フフンと鼻で笑った。
「つまり、通常通り聖女サマに骨抜きにされたおバカな皇帝を装って城を空けて来た、て訳か?」
装ってという部分をそれはもう不自然なくらいにヘイデンは強調する。「それはさすがに口が過ぎるのでは……」と止めようとするオスカーに、沈黙を保ったまま成り行きを見守るジョシュア。ジルベルトは、右手でオスカーを制した。
その全てを、ヘイデンは冷ややかな眼差しで見つめている。
「そうだな、本当に情けない事にその通りだよ」
ジルベルトは力無く答えた。
「……どうやら、罪悪感から来る自己満足や自己陶酔に浸る為に謝罪に来た訳では無さそうだな。かなり長く城を空けるつもりみたいだが、何が目的だ? まさか、骨抜きにされた女の本性を知るのが怖いもんで、そのまま『影武者』に任せて逃げようって魂胆……な訳ねーよな?」
ヘイデンは二コリともせず、ハシバミ色の瞳は冷え切ったままだ。それでも、会話を続けようとしてくれている。ジルベルトはそれが有難かった。相手の言葉の一部取り入れて話すと、親しみと信頼性が増すという心理学を使ってみようか、と思い立つ。失敗すれば、怒りを誘発させるだけで逆効果となってしまうがヘイデンとは決別したとは言え、長年培ってきた信頼はかつて確かにあったのだ。
「そう思われても仕方ないくらいのヘタレっぷりだけど、勿論逃げるつもりは一切ないよ。自分が選択した結果の責任には向き合わないと、ずっと愚かなままのうのうと生きて行く訳にはいかないしな」
ヘイデンは、少しだけ眉間の皺を緩める。
「……一応、聞こう。話を続けてみろ」
投げやりに言うヘイデンだったが、それでもジルベルトは嬉しかった。「有難う」と素直に礼を述べてから話を始めた。ジルベルトのバリトンボイスが、静かな空間にさざ波を起こすように浸透していく。
「あの時から既に、取返しのつかない過ちを犯したかもしれない、と感じてはいたんだ。それはあの後から日を追う毎に後悔の念と罪悪感が膨れ上がって。……本当に今更だし、不誠実というか軽薄極まりないのだけど、あの時苦言を呈してくれたヘイデンやアーサー、兄上たちの声に耳を傾けるべきだった……と、悔やんでも悔やみ切れないんだ。改めて、本当に、悪かった。ごめん、そして有難う」
軽く頭を下げて話を終えたジルベルトは、裁きを待つ罪人のような気持ちでヘイデンを見つめた。話続けるにつれて、冷ややかだったヘイデンの瞳に少しずつ穏やかな光が戻って来ていた。もう、眉間の皺は消えている。
やがてヘイデンは、体中の二酸化炭素を吐き切るようにして大きな溜息をつくと、徐に話し始めた。
「……ホントだよ、おせーよ今更。あの時気付いていたら、キアラは……」
声が震え、言葉を止める。俯いて右手で額と目元を覆った。肩が小刻みに震えている。ジルベルトは、彼がどれほど心を砕き、全力で誠意を尽くしてくれたのか。どれほどキアラと自分、そして帝国の事を慮ってくれていたのかまざまざと見た気がした。
「ごめん……」
それしか言えなかった。何を言っても、綺麗ごとにしかならない気がした。どんなに悔やんでも、キアラは戻って来ないのだ。
……いっそ時を戻せたなら……
まずは自分を殴り飛ばすだろう。二度と、巧言令色に惑わされない。
「いや、取り乱した。続けよう」
ヘイデンは覆っていた右手で目元を拭うように拳をつくると、そのまま膝の上に置いた。目元が微かに赤みが差し、ハシバミ色の瞳が濡れたように艶めていた。けれどもその面差しは冷静さを取り戻している。
「俺もな、キアラを説得出来なかった自分に失望したし、後悔したよ。今でもずっとな」
意外なヘイデンの言葉に、ジルベルトは目を見張った。ヘイデンはそのまま話を続ける。
「お前が聖女サマとたらに現を抜かすようになった時から、キアラには再三言って来たのさ。『あんな低能色ボケ男なんか止めちまえよ、わざわざ傷つく必要ないだろう? 尽くしてやる必要ないって!』てな。でもな、あいつはこの一点張りだった。『ジルに拒絶されて突き放されるその瞬間まで尽くしたいの。彼が国民に慕われ、望まれて皇帝になれるように。それは私にしか出来ない事だから』てな」
ジルベルトは驚愕のあまり声を失った。その時の自分は、聖女に心を奪われて逆上せ上りキアラを邪険にして辛く当たっていた。その上、聖女過激派からキアラについて色々と良くない事を吹き込まれ、それを鵜呑みにして……それなのに、キアラは……俺は、なんて……
「キアラはこうも言っていた。『私は、ジルが幸せならそれでいい』とな」
突如、ジルベルトは「うぉーっ! キアラ!!」と咆哮を上げた。正座をしている両腿に両肘を置き、頭を抱える。
「……キ、アラ……ホントに、俺って奴は……」
それ以上は言葉にならず、嗚咽を上げる。
ヘイデンを始め、オスカー、ジョシュアはそんなジルベルトを静かに見つめ、激情が治まるのを待った。
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