それからの日々③

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それからの日々③

 『些か、恋に現を抜かして冷静さを失っていた事は……否定出来ないでしょうね。別に、完璧である必要はないんですよ。完璧な人間なんて存在しないですし。信頼出来て、率直に指摘してくれる側近が何人か居たらそれで良いんですよ。ただ、ですけどね』 ラウルの指摘が、耳に痛い。随分と控えめに言ってくれたが、当時のジルベルトは、アンジェラインとの恋に夢中で他の事は疎かになっていたのだろう。少しでもアンジェラインを悪く言う者には「聖女を侮辱するな!」と激昂し、キアラを庇うような者には頭ごなしに否定して「お前は間違っている!」と意見を聞こうともしなかった。気付かない内に、呆れて離れて行った者も少なくないだろう。もし時を戻れたなら、その頃の自分を蹴り飛ばしてやりたくなる。十代の若者ならまだしも、帝国を担う者がする事ではない。  ラウル・ヘイワードと宰相候補だったヘイデン・マーク・クライスラー、暗部のアーサー・ベルボン。彼ら三人とは、気の置けない友人の間柄だった。うち、ヘイデンとは幼馴染。ラウルとアーサーは学園時代中等部からの友人だった。ラウルは何も言わずについて来てくれたが、ヘイデンとアーサーは去って行ってしまった。時にはそう言う事もあるだろう、帝国を担うという事は。去って行った彼らに、当時は『誰もが口を揃えて言う悪女なんぞの肩を持つような発言を何故にするのか?』と憤りを感じたが、今なら理解出来る。彼らは、『冷静になれ、感情に流されて重要な事を見失うな』と忠告してくれたのだ。  ジルベルトは、右手に握り締めていた指をそっと開いた。そこには、まるで透き通った南国の海をそのまま閉じ込めたかのような宝石が煌めいていた。それは目が覚めるような透明感のあるネオンブルーの宝石「パライバトルマリン」で、凡そ長さ4cm、厚み1cm程の雫型だ。その周りを、錆びないように魔法加工された純銀製の(アイビー)で縁取られている。それはペンダントトップだった。  『ねぇ? ジル、見て? パライバトルマリンて、あなたの瞳の色そのままだと思わない?』 そう声を弾ませ、夕空のような双眸を輝かせたかつての婚約者(ディスティニー・キアラ)の幻影が脳裏を過る。 『そうか? じゃぁ、買ってやるよ。正式な婚約前だから、婚約の予約プレゼントみたいな感じでさ』 『ふふふ、何それ? 婚約の予約? でも、とっても嬉しい! これで、離れていてもいつもあなたと一緒に居るような気分になれるわ。しかもこれ、銀色のアイビーで周りを囲っているわ。まるであなたの髪みたい。素敵! じゃぁそのお返しに、私はあなたに宝石のカフスをプレゼントしようかしら?』 『それなら、お前の瞳の宝石がいい!』 『私の?』 『うん、前から思っていたんだ。お前の瞳って、夕焼け空みたいでさ。「アメトリン」って宝石に似てるなぁ、て。よく言われるんじゃないか?』 『あ、たまにごく親しい人に言われる程度かしら』  その時、彼女はほんの少しだけ寂しそうな表情を見せたんだ。 『たまに?』 『あ、ほら……私ってキツイ顔立ちしてるから。話し掛けにくいのよ、きっと』  泣きそうに見えた。 『そんな事ない! お前は凄い美人だ!! 高嶺の花過ぎて声をかけられないだけだ!!』  彼女を悪く言う奴なんて許さない、その時憤った気持ちをありありと思い起こせる。    キアラともまた、幼馴染だった。互いの母親同士が仲が良かったのが切っ掛けだ。公爵令嬢である彼女と婚約が決まった時は嬉しくて二人ではしゃいだものだ。彼女から贈られたアメトリンのカフスは、今もジルベルトの部屋の宝箱で保管している。  ……どうして、こんな事に…… 追憶から我に返る。右手のペンダントトップに再び目を向けた。それは、彼女が民衆に八つ裂きにされ肉体の欠片も残らず、ドレスの端切れと血だまりの中に埋もれていたものだった。唯一残った彼女の遺品と言える。暗部隊が、キアラの死を確認する為に調べている際に見つけ、証拠品として提出されたものだ。  あの日、民衆たちが暴動を起こした際、半分は彼らを鎮める為ともう半分は見せしめの為に彼女を断罪すると共に「婚約破棄」を宣言した。そして同時に、聖女(ファティマ・アンジェライン)との婚約を発表した。「いくら何でも元婚約者にその仕打ちは非道過ぎる。聖女様は反対なさらないのか?」と、一部の強い反対意見もあったが意に介さなかった。  『はぁっ? 未だディスティニーと婚約しているのに、他の女と愛し合ってる? それって浮気じゃないか! それなら筋を通してディスティニーとの婚約解消が先だろう? 第一、しっかりとディスティニーの悪行とやらの調のか? こんな事言いたくないが、ジル……お前最低クズ男だぞ?』 『本当に、ディスティニーが聖女の事を陥れようとしたり、虐めたりしたのか? それ、聖女本人とか聖女過激派の話だけじゃなくてしっかり調べた? おい、冷静になれって。婚約者のいる男と平気で恋中になれる女が、と言えるのか?』  アーサーやヘイデンたちが必死で諭そうしてくれた事が、今更のように悔恨の念が襲って来るとは。その時、私もアンジェも……他に婚約者がいる事に罪悪感を覚えてはいた、けれどもそれが背徳感が妙に恋心を刺激したのだ。故に、二人の忠告を退け、怒りのままに罵ってしまった。離れて行って当然だ……本当に、愚かだった。最低最悪の大馬鹿野郎だ……  コンコンコン、と窓ガラスを叩く音がして思考を中断する。それは待ちかねていた合図だった。ペンダントトップを丁寧に机の上に置くと素早く立ち上がり、窓辺に右手を翳す。閉ざされていたネイビーのカーテンが開き、カチリと鍵の開く音と同時に窓が開いた。簡単な生活魔法だ。夜風と共に、全身黒の戦闘服に身を包んだ長身の男がジルベルトの前に跪いていた。窓は鍵もカーテンも閉められている。文字通り瞬きの間の出現だ。  「帝国の永遠(とわ)に輝ける太陽にオスカー・ヒュー・レイノルズがご挨拶申し上げます」 低い、だが不思議とよく通る声だった。影の声を具現化したらこのような声質になるだろうか? 黒のフードを目深に被っているが、艶やかなオリーブ色の肌、スッと通った高い鼻筋に思慮深く結ばれた唇、伏せた二重瞼はクッキリしており深紅の長い睫毛が頬に影を落としている。無造作にカットされた髪は、炎のような朱色だ。  「……それで、結果は?」 挨拶もそこそこに、急かすようにしてジルベルトは己の名を名乗った男に先を促した。オスカー・ヒューと名乗る男の瞳もまた燃えるような赤だろうか?   「はい、申し上げます」 だが、予想に反して男の切れ長の瞳は、月を思わせる銀灰色だった。その身のこなしや体付きから、黒豹を連想させる。しかし彼は火の加護を受けた精霊人であり暗部を担っていた。野性味を帯びた美形と言えるだろう。  「……やはり、ディスティニー・キアラ様の死体の一部も発見には至りませんでした。皮膚や骨の欠片さえも残っておりません。爆撃されたならまだ、無理矢理ではありますが理屈づけられます。ですが、その当時そのような痕跡は見つかりませんでしたし、もしそうなら他に多数の民間人の被害者が出ている筈です」  オスカーはそこで一旦言葉を切ると、意を決したようにして主君の瞳を見つめ直した。ジルベルトの鼓動が早まる。  「……ほんの僅かではありますが、魔術を使用した痕跡が見つかりました」 ドクン、とジルベルトの鼓動が震えた。  「それで?」 逸る気持ちを抑えられず、再びその先を促した。
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