それからの日々④(聖女side)

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それからの日々④(聖女side)

 それはアンジェが生まれて初めて感じた嫉妬と敗北の念だった。    彼女の名は、ファティマ・アンジェライン・オーベルジュ。通称アンジェ。伯爵家の一人娘で、生まれた時からそれはそれは愛らしくて、蝶よ花よとそれは大切に育てられた。物心ついた時から、かすり傷程度なら治癒してしまえる力が備わっていたし、無意識に癒しの力を発しているせいか周りにいる人はいつも上機嫌だった。欲しいモノは周りの人が手に入れてくれたし、それはモノだけでなく欲しい人もそうだった。ただ微笑みかけるだけで男の人は従ってくれたし、微笑みだけで足りなければ瞳をうるうるさせて上目遣いをすればイチコロだった。  改めて、自分の容姿を鏡で確認してみる。豊かなハニーブロンドの髪は、光が当たると本物の蜂蜜のような色に見えて。コテなど当てなくてもクルクルと自然に巻き髪になっていたし。特別なお手入れをしなくても、肌理細やかなミルク色の肌は滑らかでシミ一つ無い。薔薇色の艶やかな唇は、まるで花海棠の蕾のよう。上品な弧を描いた眉も、濃くて長い睫毛も髪と同じ色だ。クッキリとした二重瞼の丸みを帯びた大きな瞳は魅惑の翠。まるでエメラルドのようだった。目尻が少し下がった潤んだ瞳と華奢な体付きは、大半の男の庇護欲を刺激するようだ。  知識も教養もマナー、芸術関係も、乗馬やダンスを始め体を動かす事も一を聞いて十を知り、かつ実践にも秀でていた。俗に言う、人生『イージーモード』という感じだろうか。ここまで来ると、挫折知らずの成功体験のみゆえに、鼻持ちならない傲慢令嬢に成長しそうだが。そこは両親が賢明だったのだろう。奥床しく謙虚である事、ノブレス・オブリ―ジュを徹底して教え込まれてきた。そのお陰で、容姿端麗で頭脳明晰、文武両道、その上性格も良い。『奇跡の聖女様』、と呼ばれるようになったのは彼女が弱冠七つの時だったか。  そんな理由から、男女を問わず憧れられ熱狂的なファンクラブが出来るようになった。一部の女性からは羨望と嫉妬から嫌われる事もあったが、彼女を守ろうとするファンに防御されていて虐めも何も手出しは出来なかった。せいぜい、陰口を叩いて憂さを晴らすぐらいが関の山だった。それに加えて幸いな事に、アンジェ自身は人のモノに興味は無かったので、人様の彼や夫を略奪しようとは微塵も思わなかった。彼女なり妻子ありの男が、一方的にアンジェに逆上(のぼ)せてしまう事は少なくなかったが、アンジェ自身は一切食指が動かなかった。そのせいか、波風が立つ事もなく平穏無事に過ごして来た。尤も、影で彼女を守るファンクラブの涙ぐましい努力のお陰で、アンジェ自身が知らない内に守れて解決しているという事実も多々あるのだが。  そんな彼女が、初めて略奪したいと切望する程恋をしてしまったのが、ジルベルト・ジャスティス・フォンヴォワールだった。それはシュペール王立学園の入学式の時だった。生徒会長として壇上に上がり、新入生を迎える言葉を述べる彼を一目見た瞬間、恋に落ちた。それは稲妻に打たれたかのような衝撃が走った。  『何て綺麗なブルーの瞳なのかしら……まるで南国の海みたい。それに、あの銀色の髪、何て素敵なの! 純銀色だわ。あそこまで見事な銀色の髪は見た事ないわ。ハニーブロンドにエメラルドの瞳を持っている私ととってもお似合いだと思うの』  自分が微笑みかければ、大抵は好きになって貰えるし。難しい場合は、ちょっと小首を傾げて潤んだ目で見上げれば皆が夢中になるから。当然ジルベルトもそうなるものだと信じて疑わなかった。  『嘘よ! ジルベルト様に婚約者(フィアンセ)がいるなんて!』 その事実を受け入れる事は困難を極めた。今まで望んだものは全て手に入ってきたのだ。  『あの御方が、ディスティニー・キアラ・フィッツロレアード様。ジルベルト様の婚約者……本当に、お美しい方……』  自分などよりも余程ジルベルトと似合っている、そう感じてしまう程、容姿はさる事ながら頭脳、才能、立ち振る舞い……全てにおいてお手本となるようなレディーだった。その上、上の者には礼儀正しく、下の者には面倒見が良い。あまりにも完璧なせいか、同世代の友達とつるんでいるところは見なかったが、その分一目置かれているように見受けられた。  ただ、キツイ顔立ちの美人故に一部の人からは実はなのではないか? 等と噂されている部分はあった。本人もまたジルベルトもそれを知っているようだった。  『婚約者がいる方を奪い取るなんて私の主義に反しているけれど、のではないかしら。それに、ディスティニー様ならだもの!』  笑顔で「先輩、新入生で色々分からなくて。教えてください」と近づいてみても、小首を傾げて潤んだ瞳で見つめてみても、あくまで先輩として新入生に親切にする。それ以上の進展はなかった。自分よりも容姿や才能、人望に優れている同性に出会った事もなかった上に、自分に靡かない異性がいる事も初めてだった。そのせいか、常に気持ちが落ち着かず、モヤモヤした。敗北感が募った。  この上なく優しい眼差しで婚約者を見つめるジルベルトの姿が恋しかった。 『あの綺麗なネオンブルーの瞳に、私だけを映し出して欲しい!』  生まれて初めて、奪い去りたいと感じた。ディスティニーが邪魔だった。そんな風に思ってしまう激情に戸惑い、同時に自責の念に駆られた。  「最近、浮かない顔をしているね」 そんな時だった。幼馴染のジェレミーが話しかけて来たのは。昔からそうだ、表情には出さなくても彼には何でもお見通しだった。彼こそが、「聖女様ファンクラブ」の発足人。アンジェを影から見守り、あらゆる障害を秘密裏に取り除いてくれる集団のリーダーでもあった。  「可愛いアンジェ、救いの聖女。君こそがこの帝国の王妃に相応しい。あんななんか王妃の器ではない。あの女に敵対心を持つ人は結構多いんだよ。僕に任せてくれれば、アンジェを王妃様にしてあげる。あの女を引きずり降ろして二度と日の目を見ないようにしてやるさ」  そういって薄ら笑いを浮かべた彼は、背筋がゾクリとする程残忍で凶器を波瀾でいた。それでも、ジルベルトが欲しかった。ディスティニーがジルベルトに嫌われるように仕向けてくれるという彼の申し出が、神の助けに思えた。  彼がどんな手を使ったかは知らないし、今後も知るつもりもない。けれども、ほどなくしてディスティニーの評判が地に落ちていった。それに比例するように、ジルベルトはディスティニーを急速に嫌うようになっていった。  ついに、ディスティニーは「諸悪の根源」として民衆に処刑されて死んでしまった。後ろめたい気持ちはあるが、それよりもジルベルトの隣にいたかった。  ……それなのに、どうして? 片思いのままのように感じるのは何故なのかしら? それどころか、最近益々ジルベルトの気持ちが離れて行くように感じてしまう……  アンジェは唇を噛みしめた。 ……王妃かつ聖女としての責務を完璧にこなし、ジルベルトが惚れ直すように頑張ろう。その為には、外見を磨く事も重要だわ……  そう決意を固めると、まずは全身エステを受けて気分を一掃しようと呼び鈴を鳴らした。  
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