第二話 第一王子①

1/1
343人が本棚に入れています
本棚に追加
/83ページ

第二話 第一王子①

 「どうした? 新婚で脳内花畑中かと思ったらこんな辺境地に訪ねて来るなんて」 そう言って、僅かに言葉に皮肉を込めつつ冗談めかした笑みを浮かべるのは、首や肩にサラサラと流れる亜麻色の髪と、青白い肌に爽やかなスカイブルーの瞳を持つ儚げな美貌の細身の男だった。歳の頃は二十代半ばあたりだろうか。ジルベルトと木製のテーブルを挟んで向かい側にゆったりと腰を下ろしている。ベージュ色のカーテンや木目を生かしたフローリングを始め置かれている調度品は上質なものであるが、どれもが華美な装飾はなく機能性を重視したもので統一されていた。 「……いきなり押しかけてすまない、兄上」  そう、この男は第一王子。ジルベルトの異母兄弟だった。その名を、エドワード・ルアン・ロメイユと言う。ロメイユは母方のファミリーネームだ。王位継承権が無くなった時点で公爵家である母方の姓を名乗っている。 「昨夜、水晶通信玉に『急に申し訳ない。明日訪問させて頂きたいのだが、ご都合宜しい時間帯を教えて頂けないだろうか?』と入って来た時は何事かとビックリしたよ」  水晶通信球とは、文字通り通信手段の機器で通信魔法が込められた水晶で作られたものである。クリア水晶の球体が一般的だが、好みに応じて黄水晶(シトリン)紅水晶(ローズクォーツ)紫水晶(アメジスト)なども使用される。透明度が高くサイズが大きくなる程高額となり、四角型やピラミッド型など形も様々だ。伝えたい相とその内容を思い浮かべて片手を翳すだけで通信出来る。所謂、「ズーム」のようなものだ。  「忙しいところ、申し訳ない」 ジルベルトは頭を下げた。上に立つものは余程の緊急事態以外頭を下げるべきではない、まして皇帝ともなれば猶更……それは古今東西の教えではあるが、今はそのような形式に囚われている場合ではないのだ。  「いや……辺境伯と言っても実際はだし。重要な実務は執事長がやっているから、私は気楽なものさ。『視察』と言う名のついたは、スケジュールを変更するなんてどうと言う事はない」  自嘲気味に薄く微笑みながら、エドワード・ルアンは答えた。気楽な感じで話してはいるが、実際はジルベルトの為にスケジュールを調整してくれたのだろう、急いでいたとは言え気が咎める。 「むしろ、辺境地に住む者たちの生の声をには、抜き打ちかつお忍びで行く方が良いのだよ。思わず本音が聞ける時もあるしね」 極力、ジルベルトが気にしないように冗談めかして言ってくれている。昔から、この兄はそういう気遣いが出来る優しい人だった。その上、生まれつき体が弱い為生き馬の目を抜く宮中でのサバイバルには向いていなかった。更に、彼の母親は正妃ではあったが、政略結婚だった皇帝との間に愛はなかったという。正妃は、エドワードが七つの時不慮の事故で亡くなってしまったのを機に、これまで寵愛して来た側妃……後にジルベルトの母となるのだが……を正妃の座に据え、エドワードを王位継承権第一位から放逐。エドワードが十八の成人の儀を迎えたと同時に、シュペール帝国の辺境伯として城を出る事となった。  何と切り返せば良いのか迷っている様子のジルベルトに、エドワードは気遣いが七割からかいが二割、残りの一割は何とも言い難い複雑な思いで見つめた。  ((ジルベルト)に罪は無いのだが……) 還暦を迎える前に早々と引退した父親は、今は正妃で側妃でもない別の女性を寵愛している。それも一人や二人ではない。日替わりで楽しんでいる状態だ。エドワードの事は、正妃の長男であるにも関わらず最初から気に入らなかったらしい。病気がちで寝込む姿を見ては「この役立たずが!」と忌々し気に吐き捨てている事くらいしか思い浮かばない。一国を担う皇帝とはそういうものなのだ、と寂しく思っていたが、ジルベルトが生まれてからというもの弟を溺愛している姿を目の当たりにして「自分が生まれて来た事は父親に歓迎されなかったのだ」という事を悟った。父親だけでなく、継母にも疎まれておりその場に居ないものとして扱われたりした。しかし、王位継承権が剥奪された途端に、取ってつけたかのように優しくなった。自由自在に仮面をつけ外ししているようで継母には馴染めなかった。それでもエドワードが真っすぐに育ったのは、愛情を注いでくれた乳母の存在と、側近……現護衛兼執事長として支えになってくれている彼のお陰だった。辺境地に彼らの同行が認められたのは、唯一父親が示してくれた愛情なのかもしれない。けれども不思議と、ジルベルトとは馬が合った。一緒にいるのは継母や父親が良い顔をしなかったが、ジルベルトが「兄上と遊びたい」とすると、渋々だが許可してくれた。エドワードが未だに独身で浮いた話がないのは、父親を反面教師としているからに他ならない。  そのような経緯から、弟を見るとどうしても……愛されなかった自分が思い出され、複雑な心境になるのだ。  (だが、もう過ぎた事だ。どうやら相当、思い詰めているようだな。こちらから水を向けてやろうか) エドワードは思考を切り替え、弟に親しみを込めて笑顔を向けた。 「……それで、どうした? 何があった? 城の方はどうなっている?」 ジルベルトは意を決したように兄に頷くと、ゆっくりと切り出した。 「当分の間、城を空ける事にしました」 「え? なんだって?」  エドワードは驚いてソファから立ち上がった。帝国が落ち着きを取り戻しつつあるとは言え油断ならない。やる事は山積みの筈だ。その上未だ新婚なのだ。けれども兄のその反応は想定済みだったようで、ジルベルトは落ち着いて話を続けた。  「勿論、城を空けて良い状態ではないのは重々承知しています。ですから、を立てる事にしました。念の為、二人同時に」  シュペール帝国の王族の機密事項の一つに、『皇帝の影武者』の存在がある。王位継承が確実になった時点で、その者の影武者が立てられるのだ。最低三人ほど。容姿は王家秘匿魔術によって瓜二つされ、声、癖、能力、その全てをコピーしたかのように同じになるよう、徹底して「暗部」によって教育されるのだ。『影武者』となる人物の選択もまた、暗部に任されていた。  「……そうか。『影武者』については、あの子……キアラが色々と心配していたな」 エドワードは懐かしそうに、弟を通り越して遠くを見つめた。
/83ページ

最初のコメントを投稿しよう!