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第三話 フィッツロレアード大公家①
「……どういう事だ? そんな、馬鹿な……」
ジルベルトは、目の前で跪いている草色の作業着に身を包んだ男からの報告を受け、愕然としていた。報告しているのは『暗部』所属のオスカー・ヒュー・レイノルズだ。ジルベルト自身は、白い木綿のワイシャツに黒のパンツというシンプルな出で立ちだ。
「ただ単に、二人とも大公家から解雇されただけではないのか?」
オスカーの報告内容に、ジルベルトは混乱していた。
「勿論、それも調査済みです。そうではなく、元から大公家には居なかった、と言う事のようでして……」
途端に、ジルベルトは罰が悪い思いに陥る。
「……それは、キアラの事で、二人はそういう扱いになっているからではなく?」
フィッツロレアード大公家は、キアラの生家だ。通常なら、キアラが処刑の件で大公家とその一族も処刑、または爵位剥奪の上で国外追放が一般的だ。だが……
『そんな! 一族諸共なんて厳し過ぎます!』
と涙を浮かべて懇願するアンジェラインに免じて。更には代々に渡って王家、ひいては帝国によく尽くしてきた事を鑑みて、大公家とその一族の罪は問わない事にしたのだった。
大きなエメラルドの瞳に美しい涙を湛えた彼女に、当時は「何て心優しい女性なのだ! さすがは聖女……」などとコロリ絆されてしまった。その上、自分の寛大な処置に『偉大なる皇帝』になった気分に酔い痴れていた。しかし、今にして思えば絵に描いたような大馬鹿だったと思う。本当に愚かだった。それに、アンジェはキアラの処刑については一切触れなかった事も引っ掛かる。未だ誰にも吐露していないが、アンジェはつまり、キアラの死を本音では望んでいたという事になるのではないか? 聖女の定義について、背筋に薄ら寒いものを感じ始めていた。それを見抜けずに愛だ恋だと現を抜かしていた自分も……
……我が事ながら、今更過ぎて呆れ返ってしまうな……
「……様、ジャスティン様?!」
オスカーの声で我に返る。
「あ、つい考え事をしてしまった」
照れ隠しに、会話を繋げる。
「ミドルネームを一文字変えただけだが、慣れないものだな」
精霊人に与えられるミドルネームは、各個人に与えられている精霊によって『祝福と加護』をが込められた名前であり|ミドルネーム精霊の祝福名と呼ばれる。
「自分も、ミドルネームを一文字だけ変えて『デューイ』と呼ばれるのは慣れません」
オスカーはぎこちなく口角を上げた。不器用ながらも、話を合わせてくれた。彼なりの気遣いだろう。
「まぁ、魔術で髪と瞳の色は変えるとしても、本名で呼び合う訳にもいかないからな」
「ええ、まさか陛下とは呼べませんし。だからと言って本名を様づけで呼ぶ訳にも参りませんですしね」
二人は微笑みあった。今、彼らは城下町の宿の一つに滞在をして二日目の夜を迎えたところだ。八畳ほどの部屋にバスとトイレ、簡易キッチンがついた簡素な部屋、五階建ての三階の角部屋に居る。念の為、部屋には防音防御の魔術がかけられている。二人とも庶民に変装しており、互いの呼び名はその為のものだった。ジルベルトは銀色の髪をブラウンに、ネオンブルーの瞳を漆黒に変えている。オスカーは朱の髪を藍色に、銀灰色の瞳はブラウンへと変えた。彼らは第一王子を訪問後、キアラの犯したという罪の真実を極秘に調べる目的で今ここに居る。
ジルベルトは真顔に戻ると、やや声を潜めて話の続きを再開した。
「……では、キアラの専属護衛騎士のセスも、専属侍女のガーデニアも元々大公家とは無関係だった、と言う事なのか? どういう事だろう? まさか、キアラ自身が個別で雇った訳ではあるまい?」
大公家の長女に、直接長期に渡って関わる使用人なのだ。そのような事は有り得ない。
「そ、それが……」
職務に忠実で余計な感情を挟む事のないオスカーにしては珍しく、言い淀んでいる。
「良い、申せ」
「は、はい。その……失礼致しました。も、申し上げます! キアラ様は、ご自身で専属護衛騎士と専属侍女を雇われたようです。それ以前にも、何度か護衛騎士、専属侍女を個人で雇われたようですが合わなかったようで何度か変えられており、件の二人に落ち着かれたようです」
「馬鹿な! そんな重要な件を大公家は感知していない、と言う事なのか?」
ジルベルトは驚きのあまり思考が停止するのを感じた。在りし日のキアラの笑顔が蘇る。薔薇の香りの幻と共に。
「はい。その……どうやらキアラ様は、幼い頃から御家族の愛情というものに御縁が無かった御様子でして……」
「まさか、そんな……」
「どうやら御家族は、お体の弱かった弟君……フォーカス・エルモ様に掛かり切りだったようです。そもそも、キアラ様が生まれた当初から、大公夫妻はさほどお喜びになられなかったようです」
「……それじゃ、俺の知るキアラは、一体……母上と、大公妃は仲が良かったし……」
大公妃に手を引かれてやってくる幼いキアラ。キアラに優しく微笑む大公妃、嬉しそうに微笑み返すキアラ。大公家に遊びに行けば、大公夫妻は諸手を挙げて歓迎してくれて……キアラとも仲睦まじく会話していた事が思い出される。
「……あの姿は、全て偽りだったというのか?」
大公夫妻の愛情に包まれ、楽しそうに笑っているキアラの幻が、バリンと音を立ててガラスのように砕け散った。
「俺は……俺は今までキアラの何を見て来たんだ……」
無念と後悔と罪悪感と……筆舌に尽くし難い激情が、ジルベルトを襲った。そんな彼を、オスカーは静かに見守っていた。
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