プロローグ~そして「悪」は滅んだ~

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プロローグ~そして「悪」は滅んだ~

 「くたばれーっ! この売女めっ!!」 「聖女様を殺そうなどと! この罰当たりめがっ!」 「めっ、地獄へ落ちろーーーーっ!!」  ある者は剣を、ある者はノコギリ、またある者はナタを。鎌や鍬、中には果物ナイフやフライパン、鍋など。思い思いの武器を片手に集まった民衆たちの怒号が飛び交う。 「悪魔めっ! 消えろーーっ!」 「死んじまえーーーっ!!」  子供たちは石を抱えて利き手で投げつけている。彼らは一様に憎悪と憤怒の眼差しを向けていた。その視線の対象は、一人の妖艶な女だった。腰の辺りまで伸ばされた艶やかな漆黒の髪は海のように波打ち、小さな顔を豪華に彩っている。形良く艶やかな唇は夜露に塗れた薔薇の蕾のよう。青みがかった透き通るような白い肌が、ワインカラーのドレスによく映えている。ホッソリとしなやかな体付き、されど豊満な胸。頬に影を落とすほど長い睫毛に縁取られた大きな瞳は、目尻がキュッと上がり、プライドが高そうにツンと高い鼻と相まって如何にも性格がキツそうに見える。けれども女はゾッとする程美しかった。取り分け人目を惹いたのは、その瞳の色だ。吸い込まれそうな深い紫で虹彩の色は黄色がかったオレンジ色が差しており、まるで夕焼けを閉じ込めたかのようだ。さながら宝石の『アメトリン』を思わせた。歳の頃は二十歳そこそこ、だろうか? 何とも人智を超越したような、妖しい色香が漂っていた。そこから「毒花」という呼び名がつけられたと言う。  女は不敵に微笑んだ。それが目に入る位置に居た、民衆たちの怒の火に油を注ぐ。それを狙ったかのように、女はフンと鼻を鳴らした。後ろ側に両手を縄で拘束されているのを忘れさせる程、背筋はピンと張っており堂々としている。女は一度だけ背後を振り返った。キリリとと整えられた眉を顰め、夕焼け空を閉じ込めたような双眸がヒタリと一点を見据えた。女の形の良い唇から、涼やかで凛としたよく通る声が紬ぎ出される。  「よく覚えておきなさい。国を統治するには、愛だ恋だと浮かれ、正義の光だけでやっていけるほど甘くはないの。そんなのは虚構の世界だけに登場するお伽話よ。そこで見ていなさい、証明して差し上げるわ。ここまで統治者に対して膨れ上がった不満と憎悪、怨嗟を完全に滅するには、よ。これで、あなた方は『全ての元凶であった悪』を滅ぼしたヒーローとヒロインとして歴史にその名を馳せ、語り継がれて行く事でしょうね」  その言葉は男の心にジワリと波紋を広げていく。女の捉えた視線の先は、ある男の碧眼だった。その男は目も覚めるようなネオンブルーの瞳と流れる銀色の髪を持つ、恐ろしい程端正な顔立ちの背の高い青年だった。見掛けは細身だが無駄な肉が削ぎ落とされ、強靭な筋肉の鎧をその身に纏っている。純白の軍服姿はよく似合っているが、些か……民衆の怒号と炎の爆ぜる音、煙と土埃が乱舞する場面での場違い感は拭えない。けれどもその軍服は、ここシュペール帝国の皇族である事の証。男の名はジルベルト・ジャスティス・フォンヴォワール。23歳、王位継承権第一位、シュペール帝国の第二王子だった。  (本当に、これで良かったのか? 何だか、とんでもない間違いを犯した気持ちになるのは何故だ?) 女の鋭い眼差しに射抜かれ、にわかに迷いが生ずる。その時、 「……ジルベルト様?」 か細い声が、甘く耳に響く。彼の腕の中にすっぽりと包まれ、怯えたように見上げる娘の姿に、決意を固める。娘は最高に愛らしかった。地上に舞い降りた天使と表現するに相応しい。見事なハニーブロンドの巻き毛とミルク色の肌。小柄で華奢な体つき。丸みを帯びた大きな瞳は目尻が心持ち垂れ気味で、潤んだ艶のあるエメラルド色との相乗効果で、男の庇護欲をそそる。桃花を思わせるパステルピンクのドレスが愛らしさを際立てていた。彼女の名は、ファティマ・アンジェライン・オーベルジュ。先日21歳の誕生日を迎えたばかりだ。浄化と癒し、治癒の力を持つであり、ジルベルトと想い合っている。  (そうだ、私は間違ってなど居ない。あの女は、私の婚約者である立ち場を悪用して聖女の名を語り、贅と悪事の限りを尽くした上に聖女を毒殺しようと企んだなのだ。あの女のお陰で、帝国滅亡の危機に陥ったのだ。決して許してはならぬ!)  男はキッと女の視線を跳ね返した。ほんの少しだけ、女の瞳に憂いの影が走ったのは気のせいだろうか? 女は再び前を向き、瓦礫の散乱した中を悠然と歩いて行った。益々激しくなる怒号、武器を掲げている民衆の波へと迷う事なく、毅然とした態度のまま消えて行った。  (キアラ……)  瞬時にジルベルトの胸に、深い罪悪感と喪失感が走る。敢えてその感情を見ないよう蓋をし、腕の中の愛しい彼女に笑みを向けた。  そのの名は、ディスティ二―・キアラ・フィッツロレアード。かつて……いや、つい最近までジルベルトの婚約者だった。彼女は「史上最悪最凶の悪女」として、暴動を起こした民衆に滅ぼされる運びとなった。  ジルベルトは、その悪女を断罪し追放宣言をした上で、民衆に女の身を委ねたのだ。悪女の遺体は、ついぞ見つからなかったが、「悪女に手をかけた」とその感触から一部始終を嬉々として証言する血塗れの者たち、興奮して目撃した全てを語る民衆たち。ワインカラーのドレスの切れ端や後に残された血だまり。血だまりの中に埋もれるようにして落ちていた悪女のペンダント。その全ての状況を鑑みて、壮絶な最期を遂げたのだろうとされた。  その後、彼の最愛の想い人である聖女と漸く結ばれる。  こうして全ての「悪」は『毒花』と共に一掃され、帝国に平和が訪れた。正義のヒーローとヒロインは結ばれ、末永く幸せに過ごしましたとさ。めでたし、めでたし。  【完】  そう締め括られる筈だった。しかし……  これは、とある大公の令嬢が史上稀にみる「悪女」として断罪された後の人々の物語である。  
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