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やばい、スマホがない!
黒瀬怜央はボディバッグをひっくり返し、ボストンバッグを漁ってスマホを探した。財布や鍵、着替えの服はある。しかしスマホだけが見つからない。
どこかに置き忘れたのだろうか。怜央は今日、ここまでの道のりを思い返した。羽田から飛行機で高知県へ、空港からバスに乗り、途中で下車して定食屋で昼飯を食べ、その後もバスを乗り継ぎ、半日がかりで目的地である安居渓谷へ辿りついた。
ここは高知県西部の、仁淀川町内にある安居渓谷。人里離れた山奥に位置する、過疎化が進んだ限界集落である。見渡す限り山と川、畑しかない。人間より野生動物のほうが多く生息している、山深い場所だ。
すでに夕暮れ時、無事に旅館へチェックインできてホッとしたところだった。
置き忘れたのはバスの中か? いや、旅館のフロントで名前を記帳しているとき、ボディバッグにあったのを覚えてる。てことは、また悪霊の仕業……?
スマホがなければ仕事ができない。「くそっ」と独りごち、茶髪の頭をがりがりと掻きながら客室を出てフロントへ向かう。
『旅亭・雨ノ森』は安居渓谷にポツンと一軒だけある、ハイクラスの温泉旅館だ。木造建築の外観は今どきの洒落た和モダン風。内装も洒落ており、壁は漆喰、障子は土佐和紙という、伝統工芸の和を用いた造り。
良質な温泉、地元の食材を活かした食事、色柄を選べる浴衣など、女性に評判が高く、俗世から離れて田舎でのんびりしたいという客にぴったりの旅館である。館内の随所に美しい生け花や日本画も飾られていた。
怜央がフロントの女性に「スマホを落としてしまって。こちらに落とし物として、届いていませんか」と尋ねると、中年の女性は「いいえ、届いていませんね。スマホがないとお困りでしょう。すぐに空いているスタッフに声をかけて、探させますね」と言ってくれた。恐縮してしまう。
「い、いえ、そこまでしてもらうのは申し訳ないです。どこで落としたのか見当がつかないんで、もし落とし物としてこちらに届いたら教えてください」
悪霊の仕業ならば、最悪見つからない可能性がある。旅館のスタッフに余計な手間をかけさせたくない。ひとまず旅館内を探してみようと思ったとき、
「スマホって、もしかしてこれですか?」
ふいに背後から男の声がした。ハッとして振り返ると、ブラックスーツを身につけた男が、右手にスマホを持って立っていた。
男は170センチの怜央より10センチ以上は上背がある高身長で、眉が凜々しく目許は切れ長、少し悪そうな雰囲気の端正な面立ちをしていた。
こんなところに俳優が!?
と思うほどシックなイケメンである。重厚な社会派のドラマで主人公を演じていそうな、大人の男という感じだ。黒い髪色と高そうなブラックスーツがよく似合っており、スラリと伸びた長い手足、均整の取れた体躯もかっこいい。体の芯がしっかりとしている印象を受ける。
怜央もクールなイケメンだと言われるけれど、とても比較にならない。しかも今の怜央は安いTシャツとチノパン姿で、髪は根元が黒いプリン頭。自分のいでたちが急に恥ずかしくなる。
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