From hell, with love

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”ジャック・ザ・リッパ—”という名の悪の薔薇。 すべての混沌は彼から始まった。彼のナイフがヴィクトリア朝の大動脈を切り裂き、これまで黙殺されてきた英国社会の闇を世界に向け暴露した。 すでに一部の社会主義者たちの間で<(ジャック)>は、無能な政府と腐敗した警察組織を揶揄するある種の社会改革における象徴的存在として、祭り上げられていると聞く。労働者階級を中心とした大規模な社会運動が起こるのは、もはや時間の問題だろう。 終わりなき戦い。負の連鎖。 そうだ。見えないだけで、世界はこんなにも悲惨に覆われている。 「我々は皆、無知の奴隷だ。判断を下す際に用いられるのは、殆どが情動的反応と経験則による近道。つまり、錯覚だよ」 モンロウはそのように締めくくると、芝居がかった仕草で廊下の先に現れた巨大な扉を指さす。 グレートブリテンを構成する三つの国の紋章が組み合わさってできた盾。その盾を両側から冠をかぶった獅子と一角獣(ユニコーン)が支えている。 連合王国の国章。重厚な浮彫が施された金属製の扉が廊下の先に突如として現れ、黒い影のようにわたしたちの前に立ちふさがる。 「閣下」 角灯(ランターン)を掲げながらエリザが言う。 モンロウは頷き、靴音を高く響かせながら歩み出て、扉の前に立つ。 そして、華麗な装飾が施された金色の鍵を取り出すと、中指と人差し指の間に挟み、閃かせた。 扉横のウォード錠に鍵が挿しこまれ、ゆっくりと回転し、金属のこすれ合う音が暗闇に響く。 重い扉がゆっくりと、こちらへ動き出す――――。 瞬間、突き上げるような動悸に不意を突かれ、わたしは膝からその場に崩れ落ちた。 「これが、あなたを呼んだ理由よ。 ナイトレイ博士」 阿呆のように口を開けたままのわたしへ、エリザが告げる。 「驚いたかね」 モンロウはまるで、地獄へと誘う門番のように誇らしげに両手を広げてみせた。
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