織田信長

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織田信長

   茶室に明るい春の光が差し込んでいる。新しく敷いた畳の香りが快い。信長の弟、織田侍従長益改め有楽斎は織田家のものに特有の秀でた額と大きな鷲鼻をもっていたが、あの信長と血縁とは思えないような人物だった。顔かたちこそ似ているものの、爛々たる眼光は無かった。単に柔和ともいえない。なんとなく己の場違いさに当惑しつつ、ありとあらゆるあてが外れて、軽く気落ちした人物のような眼差しをいつも湛えていた。有楽斎は兄信長のことを最近よく思い出すようになった。  元亀四年の夏の日のことだった。 「源五!」  織田上総介信長はその鷹の目のような目を少しだけ見開いた。口元には珍しく笑みを浮かべていた。 「お前、戦はてんで不得手だな」 「申し訳ありませぬ」  源五こと織田長益は言いよどんだ。征夷大将軍足利義昭を京都から追い払った今回の戦では散々な体たらくだった。長益のみが味方の大勝利に味噌をつけた。決して臆病というわけではない。致命的に戦の勘所に欠けていた。鉄砲を放つ、槍を入れる、馬を入れるなどのタイミングをすべて逸していた。引き際もわからず、兵をいたずらに損耗するだけだった。長益自身は先頭に立ち声を嗄らして督戦したが、眦を決し力めば力むほど失敗し空回りする。すべてがちぐはぐであり、その滑稽さに歴戦の武士たちからは失笑を買い、平手殿が生きていたらさぞ、嘆くであろうと囁かれた。今は亡き平手正秀は長益の養父であり、また織田家の重鎮であった。他人にどう評価されようと、長益は矢玉がヒュンヒュンと空をきって自分のすぐ側を通り過ぎていく戦場でこそ、己自身が確かに生きていると実感した。戦場が織田の男の働き場と心得ていた。 「よいよい。お前に戦場で活躍してもらおうとは思わぬわ」  信長は機嫌良さげに脇息を叩いた。叱責どころか相手にされていない。 「それより、お前が茶の湯上手と聞いたぞ。最近、俺は茶の湯が面白うなってきてな。名物を集めさせているのだ。ものを集めるというのがこれほど楽しいとは思わなんだ」 「はあ……」  兄が茶の湯というのも何かそぐわない気がした。  長益は一通りの茶の作法は身につけており、様々な名物茶器には関心があった。織田連枝ということで、商人から武人まで、あれこれと名物を見せてもらえた。またいくつかは長益が見出し、茶人の津田宗及などにもお目が高い、と褒められるくらいだった。   しかし、その度に「こんなことをしていてよいのか、俺の居場所は戦場のはずだ」と一人おもった。 「お前は平手に茶を習ったであろう」 「はい」  信長は13歳も年下の弟長益をそれなりに遇していた。父、信秀に殉じて腹を切った平手政秀を信長は敬意を抱いていた。その平手政秀に茶や和歌の手ほどきを受け息子のように育てられ、政秀の娘、清を正室としていた長益は、外から見れば信長に可愛がられている弟とみなされていた。弟を殺して家督を奪った信長だが逆に自分についてくる親族~連枝衆にはよい扱いをしていた。特に長益には甘く、周囲からもそう思われていた。長益自身と言えば、少しでも信長の機嫌を損じることを恐れていた。それは動物的な恐れだった。 「面白い奴と会わせてやろう。これへ」  信長が手を叩くと、のそりと大男が入ってきた。 「千宗易と申します」  黒づくめの、周囲を圧するかのような雰囲気をまとった男だった。巨人というのが相応しい体躯。茶人の格好をしているが、数多の戦場ではたらいた、名のある武士を思わせる容貌だった。あとあと商人、魚問屋であると聞いた。 「宗易、聞いたぞ! 犬猿の仲の津田宗及の肩衡(茶入)がいいと推薦したお前に宗及が礼をしたそうだな。だがお前は礼を受け取らなかった。茶人に依怙があるのはよくない、これからも不和であることには変わりない、と。よう申したものよ」  信長は甲高く笑った。 「俺は私心の無い奴が好きだ。そうでなければならん。お前を織田家の茶堂とする」 「恐れ入ります」 「源五、宗易に茶をならえ。よいな!」  織田上総介信長に会話はない。何か意見のある者は、信長に聞いてもらえるよう、素早く整った意見を開陳しなければならない。頭の回転の遅い者はついていけない。たいていの者は頭を下げて従うだけだった。信長は一方的に自分の言いたいことをまくし立て、用は済んだとばかりに大きな足音を立てて出て行った。  兄、信長の命には逆らえない。武将として名を成したいにも関わらず、茶人のように思われ扱われているのは不本意だった。
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