醍醐の花見

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醍醐の花見

   関白秀吉の不幸は続いた。信長の妹、市の娘、側室淀殿との間に生まれた一子鶴松の死や甥の秀次の粛清、朝鮮侵攻の苦戦……利休の巨大な闇が日本全体に影を落としているかのようだった。何より老いた。病がちにもなった。  有楽斎は秀吉の御伽衆の一人となり、ますます茶の湯に耽溺した。一介の御伽衆に過ぎないが、秀頼の大叔父、姪の淀の後見ということで、有楽斎の立場はかなりのものとなっていた。いつのまにか、誰もが有楽斎に気を使うようになっていた。それでも有楽斎は頭に乗るような真似はしなかった。あくまで有楽斎は飄々とした態度を保ち、秀吉の意向に沿いつつも、他の大名たちには、茶の湯にしか興味の無い無欲で無能なお人よしと見られるように振る舞った。  慶長三年四月。  秀吉が桜の銘木を集め、愛妾や女官ら数百名を引き連れた醍醐の花見は絢爛たるもので、王朝文化がこの世に蘇ったような雅な華やぎに満ちていた。だが有楽斎はそこになんともいえぬ、もの哀しさを感じた。病躯をおして明るく天下人として鷹揚に我が世の春を謳歌する秀吉をみているとかえって痛々しくさえ感じる。自ら能も嗜む秀吉は天下人を演じているかのようだった。桜舞う花見の宴がこのうえなく、もの哀しさを誘う幽玄の舞台となってしまっている。そういえば殿下は桜の歌ばかり詠み、幽斎殿に呆れられていたな。桜こそ秀吉の表現する死の予感をはらんだ、日本の美の結晶なのだ。  天下人の最期の舞台となるのかもしれない。    秀吉が秀頼とふざけてはしゃいでいる。老いた父と幼い息子。  それを見守る忠実な側近たち。若く素直な宇喜多秀家などは目に涙を浮かべている。これも殿下の演出なのだろうか。あえて弱さをみせることで亡き後の地盤固めさえしているのだ。美しさの中にも政治的な鋭さを隠している。それでもなお、この美は確かなものなのだ。落涙する有楽斎。 「有楽斎殿」 「これは……北の政所様」  どんな者でも気を許してしまいそうな笑顔だった。 「あんたが、いちばん、うちの人のことをわかっちょるよ」
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