古田織部

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古田織部

   慶長十二年のうららかな春。利休が喝破したように有楽斎自身の茶というものはついに見出せなかった。何をやっても、今を時めく新たな茶堂、友人の古田織部の真似のようになってしまった。それは例えようもなく寂しい心持ちだった。明るい諦めが有楽斎をいつも照らしていた。    この日、有楽斎主催の台子茶会が催された。台子というのは組み立て式の茶棚であり、ここに名物を飾り賞翫する。将軍や久秀や信長が名物を披露するため書院台子茶会を行ったという。さらに台子点前は秀吉が権威付けのため、伝授制としていた。織田家の茶人として有楽斎もその一人にあずかった。亡き利休が伝授したのだが、実は台子手前に極意などない、その時々、当意即妙でそれぞれがもてなせばいい、と如何にも利休らしく言い放ったのだった。  座敷飾りは四飾りで二つ台の組み合わせだった。主な名物は太閤秀吉所有の天下一の水指といわれた竜頭だった。朝鮮出兵の際、加藤清正が献上したという。客に今や茶の湯、数寄者の第一人者となった古田織部正重然がいた。織部は、かつて、竜頭を「悪くはないが、いかがでしょう、当世風ではないような、なんともくすぐったくなりますな」と評した。利休の弟子として新たに、歪んだ、力強く豪放な沓形茶碗を美濃で焼き普及させている武家の茶を牽引する織部らしいとおもった。  水指を拝見する段になって、織部は他の客が押し頂いて観る作法であるが、織部はそれをしなかった。やはり、納得がいかぬ、という風に見つめただけだった。その姿に有楽斎は奇妙に心動かされた。台子点前を知らぬ織部ではないはずなのに。茶人らしい、と感じた。様々な大名に乞われ弟子は数多、作陶や作庭、茶室の建築などの指導も行い、目の回るような忙しさだという。かつて利休よりも多くの仕事を抱えているらしく、羨ましく思う一方、少々同情もしていた。並の茶人ならば太閤殿下所有の水指竜頭というだけで感嘆してしまうだけだろうが、忙しい中、己の美意識に叶うかどうか厳しく向き合っている。  尊敬の念と共に悪戯心が沸いてきた。茶会が終わったのち、有楽斎は織部に声をかけた。 「今日はさほど照りもせず、たいへんによい天気ですな」  障子を開けると零れ落ちるばかりの光が座敷に溢れた。 「茶を参ろう」  なんと有楽斎は枕を持ってこさせて横になった。 「おやおや、まずは茶を下さるのではありませんか」  けらけらと笑う織部。 「貴殿の茶はいつも大変でしょう。天下の宗匠、茶の湯名人ともなれば気苦労が絶えないとお察しします。京での気詰まりを晴らし、おくつろぎなされよ」  織部にむかって枕を抛る有楽斎。 「いやいや、行き届いたもてなし、さすがは有楽斎殿、この織部正、いたく感じ入りましたぞ」    織部は晴れやかに笑い枕を下に寝転んだ。その後、小姓を呼んで茶を点てさせた。そのまま寝転びながら茶を喫し雑談に興じた。竜頭の水指から名物の唐高麗物、新しい美濃焼、黄瀬戸、交趾(ベトナム)の緑釉の皿がよいこと、大藪新八という、なかなかよい茶人がいるなどという話。他人を貶める話と戦や政治の話は出なかった。
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