大坂の陣

1/1
前へ
/15ページ
次へ

大坂の陣

   慶長十九年。豊臣と徳川の間の軋轢は次第に大きくなっていた。織田家の面々は大坂城入りした。出家して常真と名乗っていた織田信雄は大坂の陣でも、どういうわけか、この年になっても総大将になりたいと言い始めた。呆れてものも言えなかった。  何の因果か有楽斎の息子、頼長も信雄を担いでおり、自分が総大将になると言いだした。  すべての織田家の者たちが時勢に疎く、あの信長の冷徹な現実主義的打算の欠片もないことは、有楽斎を戸惑わせた。どうやったらここまで楽観的になれるのか見当もつかない。ほとほと織田家には愛想が尽き果てていた。しかし、有楽は織田家の名によってのみ生き延びてきたと言ってもよく織田は捨てられなかった。 「叔父上、有楽斎殿! この大坂が負けるとでもいうのかえ! 殿下が絶対に落ちぬ城として拵えたこの大坂が」  大坂城の大広間に甲高い声が響く。信長に似た冷たい面差し。秀頼の生母、淀の方だった。 「そうは言うておりませぬ。ただ、和議を考えるべきと思っているだけです」 「はッ、戦う前から何を! 今に、そのあれじゃ……」  淀は眉を顰めた。名前が出てこなかった。好戦的なわりに肝心なところが抜けている。 「あの真田信繁が徳川をおびき寄せて叩く手を考えておる」 「徳川とて消耗は避けたいはず、戦をやるやらぬは別として、必ず和議を結びなされ」 「徳川は必ず豊臣を滅ぼしにかかるであろう。和議など無駄じゃ」 「そうは思えませぬ。秀頼殿が関白に就任するという手もありますし」  有楽斎は言葉をきった。 「この大坂を明け渡しイスパニヤの軍船を買い、異国の地を領すればよろしいのではないでしょうか。秀頼様もおもしろいと言うておりました」  巨漢の秀頼は淀とも秀吉ともこ異なった。おそらく淀の父、浅井長政の血を受けていたのだろう。朗らかで雅を解する若者だった。彼は死なせたくない、と有楽は考えていた。有楽の案をいたく気に入った、おもしろいと膝を叩いた。千生瓢箪を舳先に掲げた巨大な軍船が南方の地へと向かうのだ。 「馬鹿な。日ノ本の主が、なんで日ノ本から逃げ出さねばならぬ」  淀は嘲るような表情を浮かべた。 「信忠殿を見捨ててお逃げになった有楽斎殿らしい考えじゃ。今度は逃げるなよ。そなたもわらわも大坂からは逃げられぬのじゃ!」  結局、講和を説いた有楽斎の考えた通り、大砲に脅え豊臣方は優勢にも関わらず和議を結んだ。大坂冬の陣の和議の後、有楽は大野修理と共に茶臼山の家康の下に向かった。家康は意外なほど機嫌よく二人を迎えた。 「わしは大野修理のことを若輩者だと思っておったが、こたび、主将としての様は武勇優れ、忠節見事なものであった。正純、お前も修理にあやかれ。修理殿、肩衣をいただけぬかな?」 「無論です。冥加にかないました」  大野治長は本気で涙を流した。有楽は大野のおめでたさに呆れ返った。要するに大野を大将の器とおだてて再戦をけしかけ、今度こそ本当に豊臣を抹殺する気なのだ。次は肩衣どころか首をやることになるだろう。もう豊臣は駄目だと直感した。淀には辟易していたし巻き添えを食うのは御免だった。要するに織田家の淀の傲慢の道具、それが秀頼で大坂城であり、豊臣ではないか。淀や取り巻きの織田家のため豊臣が滅ぶ。殿下は慧眼であった。滅亡の日までを、あの鋭い眼差しで見つめていたのだ。 「このたび御和議がととのったのは本当にめでたいことであります。もはや私が大坂にいる必要もありますまい。これよりは入道も太平の恩化に浴し、生涯を茶の湯三昧の楽しみに送りたいと思いまする」  有楽斎は目の前に茶道具もないのに真剣に茶を点てる真似をした。有楽斎精一杯の皮肉だった。和議は堀を埋めるための真似ごとに過ぎない。 「それは大変結構なことよ。わしも隠居し古田殿に茶でも習うか」  家康は笑っていたが鋭い目つきをした。古田織部の名を出した時、唇が歪んだのを有楽斎は見逃さなかった。  家康の真意に気づかなかった大野修理は、結局、秀頼、淀と共に大坂城を枕に討ち死にした。有楽斎は姪とその子を捨てて、またも逃げたのだった。慶長二十年、豊臣は滅んだ。
/15ページ

最初のコメントを投稿しよう!

12人が本棚に入れています
本棚に追加