千宗易と羽柴秀吉

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千宗易と羽柴秀吉

   千宗易の弟子となった織田長益は茶の湯に精進した。本意ではない。しかし、武将の嗜みでもあるし、何より兄信長の命である。恐怖心もあったが 命じられたことをきちんと成し遂げるのもまた武人であると心得ていた。    今日は織田の使い番頭で茶の湯好きの古田織部、宗易の弟子であるどこか険のある青年、山上宗二ともう一人、知らない小男が茶室に座っていた。  また狭くなった。混み合う茶室は長益の好みではなかった。 「本日より茶をお教えする御方でございます」  宗易が紹介した。 「へへへ……木下藤吉郎あらため、羽柴筑前守秀吉にございます。織田長益様と共に宗易殿のお弟子になれて光栄でございます」  最近、頭角をあらわしている武将の一人だった。抜け目無く丹羽長秀、柴田勝家から一字ずつもらって名を改めたという。 「宗易殿のみならず、長益様、古田殿、山上殿を兄弟子として仰ぎ見る所存。みなさま、ぜひこの禿鼠に茶の湯の道をお教えくださいませ!」  わざと卑屈なおどけたような身振りで、蛙のように這いつくばる奇妙な小男。日焼けした顔は笑ったままだった。渡りの者出身の身分卑しい男だと誰かが噂していた。  長益と言えば、あまり身分を気にはしなかった。そもそも織田とて尾張の田舎者であり、先祖は平氏としているが、神社の神主であったということは誰でも知っている。この時代、何より目端が利き、何がしかの才と、しっかりとした心根と運を持ち合わせている方が重要だった。身分とは出世して勝ち取るもので固定的なものではなかった。長益は、軽輩から腕一本で出世した者を見ると眩しく羨ましく思えてしまう。自分が持つのは織田の連枝という家柄だけだった。 「羽柴殿は金ヶ崎の退き戦で大活躍したのですな」 「ありがたや、長益様。私のような者を覚えていただいて幸甚でございます」  長益は畳に額を擦り付ける羽柴秀吉の右手の指が、六本あることに気づいた。  使い古された飴色の魚籠に溜息が出るほど美しい椿が生けてある。毎度毎度、あんなものに花を生けてよいのか。古銅花入を持たぬ宋易ではないのに。長益は首を傾げた。 「これは本朝のものですな。やや丸みが唐物とは違います。釉薬も異なります」  日本で唐物の天目茶碗を模して作られた白天目茶碗を掲げ見る長益。本朝のものとはいえ唐物に劣らぬ・・・・・・その博覧強記ぶりは利休一番弟子の物怖じしない山上宗二とも互角だった。 「さすがは長益様。お目利きと存じます」  宋易が軽く頷いた。 「時に長益様はどのような茶をお点てになりたいのですか」  利休は決して瞬きをしない男だった。その遠慮のない目で長益を見据える。考えたこともなかった。どのような茶? 茶とは張り巡らされた作法通りに振る舞うことではないのか。唐高麗渡りの名物を揃え、設えをし、膳を運び、客に茶を喫してもらうことではないのか。何も答えられなかった。 「いやあ、宗易殿、俺には茶はわからんが、とにかくパーッと明るくしたいのよ。そこいら中きらきら輝いているように」  羽柴秀吉が笑いながら話に割り込んできた。 「では宗易殿はいかがな茶をお点になるので」  長益は宗易に逆に尋ねてみた。 「侘びた茶です。ただ茶を点て飲むばかりのこと。その用に徹したる美しさ。虚飾を排した姿、それが侘びでございます」  宋易が薄茶を点て振舞った。長益の手の中にすっぽりと納まる見慣れない黒い茶碗。掌が茶碗になってしまったかのようだった。これは我が国でつくった下手物だろう。 「素晴らしい。見たこともない茶碗です」  古田織部が興奮を隠し切れない様子だった。宗二は知っているのであろう、満足げで自慢げな顔をした。長益は訳がわからなかった。こんな茶碗がよいのか? 「美しさは、外からもってくるものではなく、作り出すものであると感じております。名物は無用、と。この楽焼茶碗は私が創らせました。赤は新しき心を、黒は古き心をそれぞれあらわしております」  長益は呆気にとられた。名物を鑑賞するのが茶ではないのか。ただ、茶を点て飲むばかりでは、兄信長のやっている名物狩りなど意味がなくなってしまう。 「いや、これはよい。この良さ。筑前にはようわかりまする」  赤楽茶碗を手にした秀吉はカッと目を見開いた。今までの軽々しい男とは思えないような迫力だった。  秀吉はいつも点前の作法を間違え恥ずかしげに頭を搔いてみせた。やはり戦場でのやりくりは上手くても茶の湯は下手なのだろうか、と長益はおもった。あまり数寄に向いているような男ではない。今は茶の湯御政道でどの武将も茶の湯をならうておるが……この実力でのしがあった男に対するちょっとした優越を感じた。事実、秀吉は長益をこれ見よがしにおだてて、なんでも習った。少し目利きなところを見せると、さすがじゃ、と感嘆してみせるのだった。宗易が閉口するほどだった。  しかし、奇妙な噂を聞くようになった。秀吉は茶の湯上手だというのだ。どうやら自分や利休の前ではわざと下手な点前をみせているようだった。  秀吉の茶会に招かれた際、実に澱みのない点前を披露した。秀吉だけに光が当っているかのようだった。唐物の花入れや牧谿の軸、宗易から贈られた赤茶碗を上手く組み合わせ、春の野花を生けた明るい茶席だった。なんでも卒なくこなす小器用な男だ、と長益は秀吉を見直した。宗易殿には内緒ですぞ、と悪戯っぽく笑う秀吉。この出頭人は、茶の湯でも一枚上手のようだった。    宗易の侘び茶は霧のように人々の間に浸透していった。ただ名物を愛でる今までの茶とは違い禅味があると商人、武将たちが噂し人気が高まる一方だった。宗易の手にかかればなんでもない魚籠や、瓢箪、竹筒が千金の価値を持つ花入れとなり、ただ土を固めて焼いた楽焼茶碗が数奇者たちの垂涎の的となり身代を潰して買い求められる。長益は納得しきれないものを感じていた。
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