反逆者たちの茶会:光秀、村重、久秀

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反逆者たちの茶会:光秀、村重、久秀

   天正四年五月、織田信長は陸海の要所である本願寺を欲した。信長の退去命令に従わず、雑賀の鉄砲衆、紀伊の門徒、また毛利の援軍も得た本願寺の顕如は信長に徹底抗戦する構えをとった。大坂方面の小競り合いを切っ掛けに本格的な戦闘がはじまった。  佐久間信栄を中心に、明智日向守光秀、荒木摂津守村重などの軍が天王寺城に入り、まずは三津寺を攻略する方針だったが、逆に本願寺勢が大軍を繰り出し天王寺城まで押し出した。織田軍は盤直政が討ち取られるなど苦戦した。京の信長はただちに自ら援軍を率いて出撃した。この身の軽さこそ織田信長の才だった。松永弾正久秀、羽柴筑前守秀吉を中心とした織田の主力軍は、たちまち天王寺城の守備軍と呼応し本願寺城下まで敵を追い詰める。とりあえず危急を脱したのだった。軍勢には長益も加わっていた。  本願寺勢を追撃し首級二千七百をあげるなど大戦果をあげた信長軍だったが、天王寺城は城とは名ばかり、館を中心とした砦に近い野戦築城陣地にすぎず、油断なく防備を固めた。 「こっぴどく痛めつけてやったから夜襲はないでしょう。宴というわけにもいきませんが……茶でもいかがな」  天王寺城に入ると、もはや老齢の域にはいった松永弾正久秀が茶会を催そうと光秀、村重、たまたま近くにいた長益にも提案した。一見、好々爺にみえる久秀は三好家を支えてきた辣腕家で大仏殿を焼き、将軍足利義輝を殺したと噂される男だった。松永は無論、織田家一の出頭人と羨望の眼差しを集める明智日向守光秀、信長も一目置く豪傑の荒木摂津守村重の茶会に招かれるのは長益にとって光栄だった。この武名赫々たる上、数寄者、教養人である三人は長益の憧れでもあった。 「灯りは無粋ですな」  光秀が火を吹き消す。  浩々と月の光が一室を照らす。今夜は満月だった。  青い月が照らす茶会はなんともいえない風情があった。久秀は自慢の平蜘蛛の茶釜を携えてきていた。炉にかけて湯を沸かす。床の間には竹筒を花入れとして藤を生ける。戦の果てた後、無事と不死をかけたのだった。三人は即席の茶会だというのに無言で瞬く間に準備をしてしまった。 「軸がないが……」 「この月に勝る軸などないでしょう。明智殿」 「おお」  村重が肌身離さずもっている高麗井戸茶碗を取り出す。久秀が亭主となり点前を披露し、皆で茶を喫す。焼いた餅が菓子代わりだった。 「宋易殿の侘びというのが少しわかったような気がします」  宗易は名物を褒め称える唐物趣味の茶を嫌い、あの侘び茶という一座建立のみを目指した茶を提示しているという。  長益は月を眺めた。  共に戦い、勝利をおさめた尊敬すべき武将と、この美しい月の下、勝ち生き残った喜びをかみ締めながら茶を共にする。いかなる茶会よりも優れていた。これぞ武将の茶。一座建立とはこういうことではないか。 「おお、長益様は今をときめく千宗易殿から茶をなろうておられるのか。私も是非、弟子にしてもらいたいものだ」 「羨ましい限り。私ももっと茶の湯に時を割けるようになりたいものです」 「はは、織田家随一の出頭人の明智殿がそんなことを言われてはお終いですな」  心地よい笑いのさざめき。  久秀が、かつて疾駆した戦場の話を語り、村重が槍をとって舞い、光秀は朗々と太平記の一節をそらんじてみせた。身分の低い流浪の武士であった光秀は若い頃、太平記読みであったという。太平記読みとは太平記を読み聞かせる武士の塾講師のようなものだった。「たとえ身は吉野の苔に埋もれようと魂魄は宮城をのぞむ……」後醍醐天皇の薨去する場面に目に涙を浮かべる光秀。  光秀は信長と気が合うという。鉄砲を重く用い、なんでも実用一点張りにとらえ、身分など気にかけず功ある者を取り立てて賞すこの出頭人は、意外なことに尊皇家のようだった。作法もない。ただ茶を喫し語り合うだけの心地よい時間が過ぎていく。  遠慮ない足音が床を踏み鳴らして迫ってくる。長益は子供のように怖気を振るった。誰の足音かはっきりわかった。織田上総介信長のものだった。 信長はその白皙の顔をますます白くして額に青筋を立てていた。 「貴様ら、この戦の最中に茶会とは! 何を考えておるのか! 弾正、日向守、摂津守!お前らだから許してやるが、他の者ならとうに斬り捨てておる!」  信長は荒い息をつき、平伏した家臣たちを睥睨した。 「お前もだ。源五!」  首筋に冷やりとしたものが這い上がる。長益はますます身を縮こまらせた。亀のようで滑稽であると自身でもわかった。 「時に……お怪我をなされたとのこと。上様は大事ありませぬか」  光秀が無遠慮に顔をあげた。 「掠り傷よ! 薬など寄越さぬでよい! 金柑!」  余計に猛り狂う信長。 「明日、軍議を開く。本願寺の坊主どもに目にもの見せてやる!」  信長は騒々しく去っていった。  荒木摂津守村重は険しい顔をしていた。松永弾正久秀は無表情だった。明智日向守光秀は薄笑いを浮かべていた。    次の日、羽柴秀吉と出会った。 「昨晩、こっぴどく上様に叱られたとのことお聞きしましたぞ」  秀吉はにやついていた。 「面目ない。武人が戦いを忘れて茶の湯とは……私が松永殿や明智殿、荒木殿をおとめすべきであった」 「何をおっしゃいますか。上様をお招きしなかったのがいけない。長益様、弾正様や日向守様、摂津殿までいらした風雅な茶会に上様も加わりたくて悔しかったのでしょう。実を言うとこの筑前も是非、茶会に加わりとうございました」  羽柴秀吉はひょうげてみせた。  このことがあったためかどうかはわからないが、信長は茶会を許可制にした。  あとあと思い返してみれば、この3人が信長に叛いたのは当然と言えば当然の成り行きだった。信長の配下に組み込まれ、すべてを奪われることを予感した久秀は信貴山城に籠もり、信長が寄越せといった平蜘蛛茶釜をあてつけのように破壊して切腹して果てた。村重も叛き毛利方に靡いた。有岡城が落ちたのち一族郎党を皆殺しにされても脱出し、毛利に投じ反信長の謀略工作をして回り、信長の死後は茶人となり、秀吉の御伽衆として仕えた。兄が一族郎党を殺戮した村重とはなんとなく顔を合わせづらかった。  信長を殺すことに成功したのは明智日向守光秀だった。光秀が織田に背いたことを疑問に思う者は多々いたが、大半は恨みか明智家が放逐されることへの恐れ、取って代わろうとする野心に求めるものが多かった。しかし、長益はちがった。 「思えばあの城がいけなかったのではないか」
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