黄金の茶室1

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黄金の茶室1

   それでも幸運だけは、なぜか織田長益を見捨てなかった。  周囲に愛想を振りまいて羽柴秀吉は柴田勝家を倒し、織田家を支配し徳川家康さえも牽制した。秀吉が天下人になったことは長益にとってもっとよい結果をもたらした。小牧長久手の戦いにおいては、叔父ということで和平の使者に選ばれた。家康はひどく長益に感謝し秀吉も上機嫌で長益に褒美を与えた。  ついに実力を失った織田家中はみな逼塞し、信忠を見捨てた長益を糾弾するどころではなくなった。それどころか、茶の湯の大物、秀吉の兄弟子として長益はもっとも秀吉に近い織田家の人物になりおおせた。秀吉のみならず、どういうわけか秀吉の正室、北の政所にも気に入られ、長益殿ほどよい人はいらっしゃらない、欲のない仏様のようなよい方じゃ、と過分に褒められた。いつのまにか織田家代表のような扱われ方だった。  そうなると現金なもので周囲は茶の湯を使った長益の遊泳術の上手さを羨望するようになった。日頃、武門の面子、誇り、生き様、男の意地だとか放言しのぼせ上がっている者たちは、結局のところ己の命と、御家安泰、地位のみが重要なのだった。  秀吉は関白となった。織田長益も余録に預かり従四位下侍従を授かった。  天正一三年、九月。秋にしては暑い日。 「いやあ、よう来たのお。皆の衆」  羽柴から藤原、豊臣へと姓を変えた秀吉は、得意満面で大坂城の広間に呼び出した手空きの大名や茶人たちを引見した。関白になってからも貴人というより、その心根は百姓と変わらないようだった。 「忙しいところを急に呼び出してすまんなあ。皆の衆」  皆の衆という時は特に機嫌のよい時だった。薄い髭、禿頭、浅黒い顔に、媚びたような奇妙に脂下がった笑みを浮かべる。本心はどうあろうと、なんとなく気を許してしまいそうな表情だった。眼は爛々と輝き、いついかなる時も笑ってはいない目も隠れてしまう表情。 「今日は皆の衆に是非是非見てもらいたいものがあってのう。本来は」  秀吉は笑顔でさらに猿のように見える顔を一時正した。 「帝を招く時に披露しようかと思ったが、やはり良いものは皆の衆に見てもらおうかと思ったのよ」  万座の人々がざわめいた。帝を招くとはどういうことなのか。 「何、宮中の茶会で余が帝をもてなすだけの話よ」  事もなげに言いきった秀吉。なるほど、この話がしたかったのか、と長益は納得した。さすがの信長でさえ、帝に茶を献じたことはない。兄信長はもともと朝廷など無視するつもりだったのだろう。始皇帝になるとのたまいていたのだから。 「そこで、この茶室を使おうと思うておる!」  小姓が背後の南蛮渡来の緞子を引き上げた。誰もがあ然とした。燦然と輝く黄金の茶室が衆目の前にあらわれた。全てが金張りのその茶室は目がくらまんばかりだった。台子や茶碗までも金であり、床に緋毛氈が敷かれていた。 「俺が利休にならって全部図面を引いてのう。こしらえたのだ。この茶室はな、組み立て式で持ち運びができるようになっておる」  得意満面の秀吉。居士号を得、ますます権勢を振るうようになった千宗易改め利休の表情は変わらなかった。 「のう、のう、余の才もなかなかのものであろうが。俺の創意を生かしたのよ」  興奮のあまり「俺」と最近使うようになった「余」が入り混じっていた。 「なんと素晴らしき茶室。帝をもてなすにこれ以上のものはありませぬ!」 「天下一、天下人の茶室にございます!」 「組み立て式であらゆるところに運べるというのは、関白様の御威光をあまねく天下万民に知らしめることも叶いますな!」  次々と追従じみた声が上がる。圧倒されているのは事実だった。居並ぶ者たちは、黄金の茶室そのものではなく、帝さえ招く底知れぬ天下人の権力、財力を黄金の茶室に見ていた。  長益は皮肉げに口を歪めた。そもそも見せるための茶室、もっと悪く言えば見せびらかすための代物に過ぎないし、金趣味も兄上の真似ではないか。こんなものを作らされるのだから、侘び茶の千利休もたまったものではなかろう。このあたりが秀吉の限界だろう。天下人の座についたことでそれをあらわす茶室を作ってしまったのだ。茶室は美意識の結晶のはず。金で衆目を奪う見せびらかす茶に何の価値があろうか。  秀吉は茶会を許可制とした信長と異なり、自由としたが己は権威付け箔付けのための創造を推進するようだった。同時に秀吉とは真逆の利休の、暗くてやたら厳めしい侘び茶とやらも長益には、納得しがたいものに思えた。禅の精神だかなんだか知らないが、あれも方向性が違うだけで、権威付け箔付けではないか。禅、清貧や自然、身分の区別をつけないことが尊いのは分かるが、それを演出して大名たちや庶民に広げるのは逆に不自然なのではないか。権威を否定しつつ、自分が最大の権威になりたがるというのは、兄上と変わらない。下剋上だ。  この二人に茶の湯を支配されると思うと長益はげんなりした。息苦しささえ覚えた。  長益は高麗の井戸茶碗や明の青磁茶碗を愛していた。明るく端整なものが長益の好みだった。唐高麗物趣味が廃れると思うといかにも残念で腹立たしくさえあった。これらのものが、長益には愛おしく守るべきものに感じられた。秀吉の箔付けの金趣味や、利休の野心の侘び茶がもたらす今焼き茶碗などに負けて欲しくなかった。 「長益、忌憚のないところを申してみよ」  ほんの少し前までは、滑稽なほど織田家の直系である長益に対して平身低頭し、大袈裟な身振りで敬っていることを示していた秀吉とは思えない。 「いささか、派手すぎではありませぬか。私の如き者には眩しすぎて」  長益に似合わない反抗だった。武士としてすべて失い、嗤われるだけの存在となったが茶の湯の美意識にかけてはまだ負けていないという自負心が熾火のように燃えていた。  広間に冷えた空気が流れる。 「そう思うか」  秀吉は童子のような顔を見せた。 「ははははっ! 信長公の弟君、茶人としても名高い長益もまだまだよのう。よしよし、いつか余の茶室でもてなしてやろう!」  大爆笑する。追従の笑いが広間に広がる。心の底から可笑しいといった感があった。  長益は呆気にとられた。不快な顔こそ長益が予想し、望んだものだったからだった。秀吉はその後も上機嫌に酒食を振舞った。あとあと何かとがめだてされるかとまたも脅えていたが、まるでそのようなことはなかった。
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