北野大茶の湯

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北野大茶の湯

   天正一五年十月。  これ以上ないほど高く晴れた冷たい爽やかな秋の日。  豊臣秀吉は、身分に関わりなく、すべての茶の湯を行う者、数寄者を北野天満宮に参加させ北野大茶の湯を催した。10日間も開催するという。菅原道真に茶を献じ、秀吉が集めに集めた茶器を展示し、また数多の茶の湯名人たちに混じり、秀吉自身も茶を点てるという。  九州平定を祝し、茶の湯においても秀吉がすべてを手中におさめたということを示す政治的なデモンストレーションだった。兄上の馬揃えの真似ではないか、と長益はさめた思いだった。気になる話もあった。利休は最後までこの催しに反対しているとのことだった。    たくさんの小屋、毛氈を敷いた場があつらえられ、大名、武士、公家、商人、茶人、農民まで茶を点てている。実に300席の茶席。釜の湯気に紅葉がゆらめく。長益は瞠目した。これほどの様々な人々が、茶に興じている。  確かに名物の茶器も茶人も権力に任せで多数を集めただけ、と言えなくもない。しかし、ここにはそんな誰でも思いつく凡庸な権力者批判を吹き飛ばす空気があった。  みよ、なによりみな楽しげではないか……長益はおもった。暗く禅の思想にかぶれた利休とはえらい違いではないか。やはり殿下もただ茶の湯を政に利用しているだけではない、そう思うと先ほどのさめた気分が逆に茶釜の湯が滾るように熱くなってくる。 「おー、長益もおったか」 「は」 「なんじゃ、高麗物か。お主なら信長様の名物でも出せばよかったのに」  四畳半の小屋掛けに昔ながらの唐物趣味の茶器、釜、茶道具を取り揃えた。平凡ないかにも大名のような茶席だった。 「唐高麗物こそ私がみとめる美でございます」  琵琶色の大ぶりの高麗渡りの井戸茶碗。高台に入った複雑な梅花皮が美しい。自慢の一品だった。ただ、自分が唐高麗物を茶席で使うことをはじめた珠光の正統後継者を気取るというのもおかしな話ではある。 「うーん、悪くはないが今一つ華に欠けるのう。だが、この南蛮絨毯はいいな!」 「波斯のものときいております」 「ほお」  ペルシア絨毯を敷いたのは利休への目に見える唯一の反抗だった。唐高麗ものを軽んじ自らの黒茶碗を至高のものと喧伝する利休はギヤマン(硝子の器)を茶器として用いたりポルトガルの絵を飾ったりする南蛮趣味をひどく嫌った。どうせ、利休は自分のことを歯牙にもかけていないだろう。  上機嫌の秀吉は、茶を飲みすぎたのでいらぬ、茶を点てようとした長益を制した。  はるか彼方に思いを馳せるような滅多に見せない穏やかな顔となった。 「これは一日だけでよいな。長益」 「は?」 「これほど楽しきものとは思わなんだ。これが余の案ずる最高の茶席よ……この日が10日も続いたら面白きものではなくなるわ」  秀吉は目を細めて扇で膝を叩いた。 「その通りでございます。殿下」  この広大な北野の地そのものが巨大な茶室なのだ。無数の茶室が入れ子のようにはいっている茶室。長益は感じ入った。 「ひっひっひ……黄金の茶室は気に入らなかったようだが、北野大茶の湯には度肝を抜かれたようじゃの。余の勝ちじゃ」  秀吉は楽しげに笑った。  入れ札で人気投票が行われ、もっとも評価が高かったのは渋々参加した利休、主催の秀吉でもなく、世捨て人の侘び茶人、へち貫なる者だった。野点の名手として知られ、利休の兄弟子でもあるという。朱塗りの大傘を差しかけ人々の度肝を抜きつつも、茶碗などはありふれたもので、華やかさと名物に頼らぬ質素さが人気の的となったようだった。秀吉は大いに喜び褒美をとらせた。
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