第一話 前金三万じゃ足りません

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 結局、部屋の中には、湊斗の周囲に集まってきた霊以外にも、奥の壁をひたすらに叩き続ける霊や、ソファー下15センチの隙間に横向きに入った異様に縦長の霊など、二十近い数のものがいた。  水宮はそれを、すべて祓った。  見事なものだった。足で床を踏むだけかと思ったら、最後の数体のとき……ようやく湊斗を解放した後、柏手を打った。「これが一番効くんだよね」とのんびり言う水宮は、知人の神主と同様に清浄な空気を纏っていたものだ。  気づけば、湊斗の目の痛みも無くなっている。  おそらくは、水宮の力のせいだ。  最初にエレベーターで見た黒い靄も、見間違いじゃなくて、実際に霊がいたのだろう。 だが、湊斗が認識する前に水宮がそれを消した。きっと、その後やけに湊斗に密着してきたのも、湊斗が霊の気配を感じ取る前に浄化していたのではないだろうか。だから、部屋に入った時――水宮の浄化の力が途切れたとき、一気に霊が視えた。  霊は急に現れたのではなくて、元々そこにいたのが視えただけだ――。  霊の姿も気配も無くなった部屋の中、湊斗は眼鏡を掛ける。  レンズ越しに見えるのは、最初に見た通り、長い間使われていないとわかる埃っぽく黴臭い部屋だ。水宮が歩き回ったせいで、薄く積もった埃の中に足跡が残っていた。  舞う埃を避けて部屋を出ようとしていた水宮を、湊斗は呼び止める。 「……おい、水宮」 「なに?」 「なんで嘘ついた? この部屋、撮影で使ってないだろ」 「ああ、うん」  悪びれもせずに頷く水宮に、湊斗は眉を吊り上げる。 「あんたなぁ……!」 「でも、この部屋で奇妙な現象が起こっていたのは本当だよ。車の中で説明した通り。……実はここ、三十年くらい前にビル火災があったらしくてね。当時は、消防設備や避難経路がちゃんと整っていなくて、逃げ遅れて死んだ人がいたそうだよ。特に、ここの四階でね」  もっとも、ビルはその後取り壊され、二十年ほど前に建て直されたのが今のビルだという。  しかしながら、新しく建てられたビルの四階では度々奇妙な事が起こった。 「なぜか四階だけ、事故や事件が起こるようになったんだって。最初に入った会社の社長が女性社員と不倫して奥さんと三つ巴の刃傷沙汰になったり、次の英会話教室では教師が首を吊って自殺したり……」  事故や殺人、自殺……。何度かリフォームしても、不気味な事故は収まらなかったらしい。  さらには、誰もいない部屋から声や足音がするだの、洗面所の鏡に知らない女の顔が映るだの、エレベーターの乗客が一人多いだの、と怪現象も起こるようになった。  いつからか、このビルの四階は“曰くつき”と呼ばれるようになった。おかげで四階だけはテナントが入っては出ての繰り返し。最終的にある芸能事務所が格安で事務所と撮影スタジオを作ったものの、水宮が言ったような現象が続き、次第に使われなくなったという。今は物置という名目で、この一年ほどは人の出入りはほとんどなかったようだ。  四という数字は『死』と同音になるため、忌避されることがある。  ホテルやマンションの部屋番号で四番だけ飛んでいたりするのはそのせいだ。『四』は、死後の世界に通じる数。『四階』=『死界』……もしかすると、ビル火災をきっかけに、この場所の四階の位置が、そういった死者の霊達が集まりやすい場所になったのかもしれない。  湊斗が視た、あの黒い靄を吐き出していたのは、火災で亡くなった者だったのか、あるいは別の事件の――。  ともかく、バリバリの曰くつきの場所には違いない。  湊斗は水宮をねめつける。 「完全に曰くつきだろうがよ。なんでわざわざ俺を騙して連れてきた? 視なくたって最初から霊がいるってわかってただろ」 「知り合いの事務所の社長さんから、お祓い頼まれてさ」 「お祓いって……あのなぁ、俺は視るだけしかできないって――」 「うん、だから、鏑木君には『視て』もらっただけだよ。それに関して、嘘はついてないでしょ?」  にっこりと、水宮は答える。  確かに、湊斗は『視た』だけだ。『祓う』のは水宮が行った。  視ただけ、だが――。 「こんなの詐欺だろうが。そんな現場なんかに連れてくんな!」 「でも、前金三万円払ったじゃない」 「三万で足りるか!」 「ええー、じゃあ三十万くらい?」 「……そういう問題じゃねぇ」  一瞬、思わぬ金額にぐらりと傾きかけたが、湊斗は何とか踏みとどまる。湊斗の迷いを察したのか、水宮は笑いをにやにやしたものに変えた。  その態度に苛つきながらも、湊斗は考える。  ……こいつは本当に何者なんだ。  ただの大学生ではない。モデルとかイケメンとかも今はどうでもいい。  湊斗のことを調べて、騙して霊の出る場所に連れてきた。霊を視させて、お祓いをするために。  祖母や叔父の同業者なのだろうか。  霊が視えないのに、祓う力――しかも、かなり強い力を持つ男。 「……おまえ、何者なんだよ」  湊斗の問いに、水宮は目を瞬かせる。  青みがかった灰色の目が、やがてゆっくりと細められる。 「僕は水宮慧。そういえば、自己紹介してなかったね。年は十九歳、誕生日は二月十二日、水瓶座のO型、身長は183セン――」 「そんなこと聞いてんじゃねーよ」  下から睨み上げる湊斗に、水宮は「あはは」と笑う。そして、馴れ馴れしく湊斗の肩に腕を回してきた。 「ねえ、鏑木君。次もまた協力してくれない?」 「は?」 「君が『視て』、僕が『祓う』。ほら、ちょうどいいじゃない? いいコンビになれると思うんだけどなぁ」 「断る」  湊斗は水宮の腕を振り払って、廊下に出た。  水宮の誘いには二度と乗るものか。さっさと帰ろうとする湊斗の後を、水宮がついてくる。断られているというのに、水宮はどこか楽しそうだ。 「前金三万払うからさ」 「誰がいるか」 「え、ただで協力してくれるの? さすが、優しいなぁ、鏑木君」 「……あんた、俺をおちょくってるよな?」 「あ、そうだ。一階の喫茶店のナポリタンが美味しいのも本当だよ。奢ろうか?」 「奢られて恩着せられるのはごめんだ」 「そこのミルクレープも絶品なんだよね」 「……いらん」  水宮と言い合う湊斗は、今後彼に幾度も付き合わされる羽目になるとは、この時微塵も思っていなかったのだった。
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