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その後も、英美の周囲で異変は続いた。
夜、英美がアパートに帰ってくると、二階の廊下で女性がドアの前に立っている。道路から見上げたときには確かにいるのに、いざ二階の廊下に行くと影も形もない。
長い黒髪で、ラベンダー色の薄いニットを着た女性。いつも後ろ姿しか見せない。
アパートに住んでいる同級生や先輩にそれとなく聞いてみたものの、そんな長い黒髪の女性は知らないという。
実際、何か害があったわけではない。部屋の扉に悪戯されているわけでもないし、郵便受けに何かを入れられたわけでもない。
だが、じっとドアの前に立っていて、いざ英美が近づくと消えている――という現象が、妙に気味が悪かった。
あの女性はきっと人間ではない。
幽霊とか、そういうものじゃないか、と英美は思っている。
そのうち、夜にアパートであの女性の姿を見たくなくて、夜間の帰宅や外出を避けるようになった。夜に部屋の中にいても、玄関の方に行くのが怖かった。ドアの近くに立つ女性がドアスコープから覗いていたら、もし部屋の中に入ってきたら、と想像すると恐ろしかったのだ。
英美は春休みの間だけでも実家に帰ろうかとも考えたが、親に理由を説明するのも難しい。それに、下手すれば引越し、あるいは一人暮らしを止めて実家から通学になるかもしれないことも嫌だった。
あの時、一緒に女性の姿を見た幸奈と彩子は心配し、しばらくの間、英美を自分の部屋に泊めてくれた。
そうして気分を変えながら春休みの残りを過ごし、休みが明けて大学が始まった。
多くの学生が行き交う賑やかなキャンパスに、英美の気持ちは久しぶりに高揚する。
何気ない会話も、いつもなら少しうるさく思える喧騒も、日常が戻ってきたと実感してほっとする。鬱々とした気分が晴れて、以前よりも恐怖が薄れた状態でアパートに戻ったら、その日は女性の姿は無く、さらに安堵した。
それから数日、女性の姿を見かけなくなったことで、英美はすっかり気を抜いていた。
だから、幸奈達と次の講義がある教室に向かった時、何気なく廊下の先を見た時――。
英美は、言葉を失った。
教室の扉の前に、女性が立っている。
長い黒髪。ラベンダー色のニット。グレージュのプリーツスカート。
――ああ、あの人、あんな色のスカートはいていたんだ。
麻痺した頭の片隅でそんなことを考えながら、英美は青褪めて立ち尽くす。急に立ち止まった英美に、幸奈達が「どうしたの?」と尋ねてくる声がやけに遠く聞こえた。
こめかみがちりちりと粟立ち、頭からざっと血の気が引くのが、他人事のようにわかる。
視界が暗くなり、貧血を起こした英美は廊下に崩れ落ちた。
気が付いた時には保健室にいた。
どうやら幸奈が近くにいた男子学生と協力して、保健室まで運んでくれたらしい。英美のただならぬ様子に気づいた幸奈は、何があったのかと尋ねてくる。
「あ……あの女がいたの」
英美が声を震わせて答えると、幸奈は顔を強張らせる。
「それって、大学まで追いかけてきたってこと?」
「わ、わかんないよ。ね、ねえ、どうしよう。なんで、あの人、いったい何なの……も、もしかして、幽霊、とか? 怨霊、とか、なのかな……」
英美が言葉を詰まらせると、幸奈はしばらく黙り込んだ。
やがて、「あのさ」と口を開く。
「噂で聞いたんだけど……工学部に、そういうのが見える人がいるって。霊感ある、ってやつ。その、あまり評判は良くないらしいけど……試しに相談してみる?」
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