第二話 前金二千円でいいんですか?

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 鏑木の射抜くような視線に、英美は一瞬どきりとした。  眦が吊り上がった、猫のような目。  英美を見ているようでいて、どこか焦点は合わない。遠くを眺めるような黒い眼差しからは、夜の暗い海のような底知れなさを感じた。  すべてを見抜かれているような気がしたが、鏑木はすっと英美から目を逸らして、側に置いてあった黒縁眼鏡を手に取る。 「……で、あんた誰?」  眼鏡を掛けた鏑木に再度尋ねられて、英美は我に返る。 「あっ、あの、私、文学部二年の、高野英美ですっ」 「……」 「あ、その……起こしてしまって、ごめんなさい」  ひとまず昼寝の邪魔をしてしまったことを謝ると、鏑木は眼鏡の奥の目を瞬かせる。  しばらく黙った後で、「うん」と曖昧に頷く声からは、不機嫌さが消えていた。それでも、どちらかと言うと怒ったような表情で、鏑木は改めて英美を見てきた。 「俺に何の用?」 「……」  何と言い出せばいいのか。  英美はトートバッグの肩紐をぐっと握る。  お金はATMでおろしてきた。念のため、五万円。彼に幽霊関係の相談をするのに必要な前金だ。  塾のバイト代や親からの仕送りを切り崩したが、五万円はけっこう痛い。家賃を除いた一か月の生活費だ。……できれば二万円くらいで収まってくれたらいいが。  いや、それでも、これ以上あの女性に悩むよりはいい。  肩紐を強く握ったまま、英美は口を開く。 「鏑木君、霊感があるって聞いて、それで……」  私の側に、幽霊がいる?  そんなことを口に出すのが、急に怖くなる。  何言ってんの、とか言われたらどうしよう。  不安になって、自信が無くなる。  気のせいだとか、何言ってんのとか、彼に言われたら――。 「わ……私に、その……何か憑いているとか、わかる、かな……?」  迷いながら発した言葉に、英美は自分でも恥ずかしくなる。  しかし、鏑木は英美を平然とした顔で答えた。 「じゃあ、前金二千円で」 「……へ?」  英美はぽかんと口を開けた。  ――どういうことだろう。前金は二万円以上かかるんじゃなかったのか。  ぐるぐると考えながら英美は尋ね返す。 「あ、あの……二万円じゃなくて?」 「ちょっと、英美」  幸奈が慌てて英美の肩を叩く。鏑木もまた、眉間に皺を寄せて英美を見上げた。 「別に、払ってくれるんなら二万でもいいけど」 「え……いえっ、二千円でお願いしますっ」  慌てて答えると、鏑木はふんと鼻を鳴らした。そして、面白くなさそうな顔で淡々と説明する。 「先に言っておくけど、俺は『視る』だけしかできないから。お祓いとかは、知り合いに祓い屋がいるから、そっちを紹介することになる。それでもいいなら、視るけど」  そう言う鏑木に、幸奈は「お祓いできないの?」と眉根を寄せたが、英美はなぜかほっとした。  『視るだけ』と言った彼からは、決して他の人が言っていたようなインチキではなく、確固とした自信を感じた。それに、前金を払う前にちゃんと説明して、確認をしてくれるところは、彼の人の好さを表しているように思えた。  何より、英美の曖昧な頼みに対して怒ったりすることも、馬鹿にすることもなく、きちんと答えてくれた。  彼になら、相談して大丈夫。  もう、――大丈夫なんだ。  そう思った途端、英美の視界が滲んだ。ぼろぼろと涙が溢れて、止まらなくなる。 「えっ、ちょっと、英美? 大丈夫!?」  おろおろとする幸奈の向こうで、鏑木は特に驚くこともなく、ただ、ほんの少し困ったように目線をさ迷わせて頭を掻いた。 「……とりあえず泣いとけば」 「はあ? 鏑木、なに他人事みたいに言ってんのよ! だいたいあんたのせいじゃないの!?」  素っ気ない鏑木の言葉に、幸奈は怒る。  しかし英美は、泣くことまで許容してくれた鏑木に甘えてしまって、ますます大泣きしてしまったのだった。
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