第二話 前金二千円でいいんですか?

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 教室の前で、鏑木は足を止めた。眼鏡を外して廊下をぐるりと見回した後、首を横に振る。 「今はここにはいない。……その女が立ってたのって、どこら辺?」 「たしか……」  英美が教室に入る扉の前を示すと、鏑木もその位置に立った。扉にはめ込まれた細長いガラス窓から、ちょうど中が覗ける位置だ。今は室内に誰もおらず、教壇がよく見える。  鏑木は窓を覗きこみ、やがてこちらへ顔を向ける。 「あんたがその女を見た時、ここって何の講義がある予定だった?」 「え? ええと、西洋文学史Ⅱだけど」 「ふぅん……じゃあ、あそこの部屋は?」  鏑木はふいに、廊下の窓を指さした。  窓の外には、教室のある棟に対し直角に建てられた研究棟がある。教授や講師の研究室が入っている棟で、院生やゼミ生ならまだしも、学部二年の英美にはあまり馴染みのない所だ。鏑木の示す方を何気なく見た英美は、息を呑んだ。 「っ……」  窓の向こう、研究棟の廊下に長い黒髪の女が背を向けて立っている。  後ろ姿の女――。  青褪める英美に、鏑木は「あれか」と眉を顰めた。英美は急いで目を逸らし、手の中にある塩を強く握りしめる。おそるおそる研究棟に視線を戻した時には、女の姿は消えていた。 「か、鏑木君……今の……」 「ああ。いた」  鏑木は頷く。硬い表情で、何やら手首の辺りを擦っている。幾つも付けているブレスレットを弄っているようだ。 「あんただけの前に現れるって訳じゃなさそうだな」   ***  その後、研究室棟を見に行った鏑木――英美は怖くて付いていけなかった――は、一応アパートの方も視た方がいいと言ってきた。  自宅の住所を教えたものの、英美が住むのは女性専用アパートだ。住人の家族以外の男性の立ち入りが禁じられている。こっそり自分の彼氏を連れ込む者もいるが、大家に見つかるとゴミ置き場やエントランスの清掃などのペナルティをくらってしまう。  すると、鏑木は顔を顰めつつ、妙なことを尋ねてきた。 「……それって、見た目が『女』だったら入れるか?」  どういう意味かと英美は疑問に思いながらも頷いたのだったが―― 「初めまして、あなたが『高野英美』さん?」 「……」  英美は、アパートの最寄り駅で待ち合わせした人物を見上げた。  青いストライプのスキッパーシャツに、紺のテーパードパンツ。凛としたキャリアウーマンという感じの人は、頬に落ちた黒髪を耳にかき上げる。 「高野さん、よね?」 「……あっ、は、はいっ! そうです、高野です」  我に返って頷くと、その人は赤いルージュを引いた唇に綺麗な笑みを浮かべる。 「はじめまして。私、鏑木真澄(かぶらぎ ますみ)といいます。湊斗の叔父です」 「……」  背の高いスレンダーな女性に見えるその人は、鏑木から紹介された『祓い屋』で、彼の『叔父』であった。
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