世界一おいしいマックを食べに電車を乗り継ぎそんなところまで行く

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 もっと早くからしておけば良かった、と思うことが、僕の人生には山ほどあるのだけれど、それでも、あらゆる物事には順序というものがあるのだと信じている。  例えば、洗濯かごの中でぼくたちはいつになったら洗ってもらえるんだろう?と不平不満を口にしているのに違いない洗濯物。  汗のついた衣類がミルフィーユみたいに重なり合って、細菌たちの一大王国が築かれているだろうことは、容易に想像がつく。  きっと下の方の洗濯物には、差別と貧困に苦しむ下級層の細菌たちが住み、比較的新しく洗濯物と化した上の方の衣類には、細菌界の富と権力を欲しいままにする、貴族や王族たちが住んでいる。  しかし、その社会構造も永久のものではなく、あと2時間もしたら、革命が起きて全ての細菌が平等に暮らせる社会が到来するのだと、人類史の必然を学習してきた僕なんかは思うわけであるが、絶対王政的不平等細菌社会であろうと、理想論的高福祉細菌社会であろうと、当の洗濯物にとって歓迎できるのは、洗い上がりが柔らかな新発売の合成洗剤だけであろう。  ともかく、アパートの隣人のためにも、早目に洗濯を終わらせなければいけないと思う、晩夏は金曜の夜8時である。  約一時間後に洗濯機は回転を止め、熟練のアイススケーター以外の全ての存在がそうであるように、輪舞を踊りすぎたレプラコーンのように、休憩を要求していた。  毎日二人分の洗濯物を腹に詰めて、この部屋に来て以来、一度も休肝日を与えられることなく永久回転運動を続けてきたそれは、早く洗濯物を取り出せシグナルを僕に向かってけたたましく送って来ていた。  そいつも心得たもので、僕には膀胱が破裂しそうだから早く散歩に連れて行けと吠えまくるチワワの子犬のように催促をするのだが、妻に対しては決して要求したりはしない。  僕がお気に入りのTシャツをネットに入れて洗うと、必ずネットのファスナーを開けて、それをその他大勢の洗濯物の濁流の渦の中へと投げ出すのであるが、妻の下着が入ったネットの口には、レベル99のルパン3世でも開けられない鍵をガッチリとかけて、やんごとなき人たちが列をなして求婚に押し寄せるかぐや姫のモチ肌のごとくにふんわりと洗い上げる。  実にこの洗濯機は、人間と共生する(すべ)を心得ている。  僕はといえば、ハヤシライスの中のグリンピースほどの価値もないバラエティ番組を、型押しされたういろうのように四角いスマートフォンの小さな画面で見ていた途中であり、一時停止ボタンを押して、とっとと洗濯物を干せば良かったのだが、それでも物事には順序というものがある以上は、あと15分バラエティ番組を最後まで見てから洗濯物を干したほうが、目には見えねどこの世に存在している物事の道理というものをよく表しているのではないかと理由にならぬ理由をつけては自分を甘やかしていた。  そんなことをしたって、実際には洗濯物が乾く時間が遅くなるだけであり、翌日の土曜日を充実して過ごすためには、今すぐスマホをスリープさせて重い腰を上げた方が、誰が考えたって得策なのであるが、それは人類のちっぽけな頭で考えた善悪であって、科学万能のこの21世紀であっても、やはり宇宙には人智を超えた知性というものが存在しているに違いないのである。  だからして、僕がなかなか洗濯物を干そうとしないのも、決して僕が怠け者だからではなく、そこにはある種の知性というものが働いているからなのだ。  時としてその知性は人類に理解不能な出来事をもたらすのであるが、きっとそこには何らかの天の配剤と呼べるものが存在していると僕は信じている。  この日の僕も、人智を超えた不可思議な力の存在を感じることとなった。  否、そういった力の濁流に巻き込まれたといっていい。  そう、まるで母の胎内のような温もりを与えてくれた洗濯ネットから放り出されて、混沌の中をさまようお気に入りのTシャツのように。 「ねえ、あなた。洗濯終わったみたいよ」  と、太平の眠りを覚ます鶴の一声である。我が家にあっては、妻の一声とも言う。  妻とは、出会ってから24年、結婚してから1年になる。もちろん、23年間も闇雲に将来のことを先送りにして刹那的な快楽に身を委ねて、いたずらに時を消費していたわけではなく、小学校1年生のときからの同級生であるが、付き合い始めたのはお互いにいい年齢になってからなのだ。  妻とは中学校でも同じクラスであったし、高校も同じ高校に進学して、そこでも3年間のうちに2回同じクラスになった。  それどころか、あろうことか大学も同じ大学の同じ学部に進学し、卒業してからは別々の会社に就職したのだが、同じビルの同じ階にオフィスがあったのである。  それぞれの実家は離れていたし、幼馴染というわけではないのだが、こうまでくるとお互いに何らかの運命のようなものを感じるものだ。  結局、付き合い始めてからはトントン拍子に話が進み、めでたく結婚という運びになったわけで、だったらもっと早くから付き合っていればいいじゃんということなのだが、当時の僕にはいつも、彼女の他に好きな人がいたのだ。  小学校3年生のときの初恋の人は、彼女ではなく、クラスで一番人気のあった、快活でいつもお洒落な格好をした、地元では裕福な家の子だった。  よくある子供の、恋したという事実を僕の人生に刻みつけただけの、ありきたりな初恋だった。  中学校で初めて付き合った女の子は、運動部に入って真っ黒に日に焼けた子だった。  男勝りで、物をはっきりと言う、ボブにした髪の毛がすっきりとした顔立ちによく似合う、ケツメイシが好きな女の子だった。  その頃の妻はといえば、とびきりの美人とは言えないまでも、真っ直ぐな黒髪とクセのない素直な顔立ちであり、僕のクラスメイトたちからは、それなりの人気を得ていたようだった。  彼女は決して目立つタイプではないが、よく、まだ誰とも交際したことのない思春期の少年が、仲間内で面白がってやるように、好きな女の子ランキングをつけるとすると、1位には入らないが、誰のランキングにも5位か6位に入るような女の子だった。  あとで大人になってから、本当にきれいな子というのは、こういう子のことを言うのだと、改めて気付くのであるが、学生時代というのは、男もそうであるが、純粋な顔の美醜よりも、クラスでどんな立場にあるかということの方が、その人の魅力を構成する要素となっていることが多く、ご多分に漏れず、僕も世間一般的な平均的中学生を構成する要素の一つに過ぎなかったから、彼女が時折見せるハッとした美しさに気付くことがなかったのである。  それは僕以外の男の子たちもそうだったようで、妻が誰かと交際しているという噂を聞いたことは一度もなかった。  その後、僕はボブの女の子と別れ、特に改めて人に言うまでもないような恋愛を何度か経験し、そして大人になった。  20でお酒を覚え、まあ、ここで書くことではないのだが、多少は若者らしいこともした。妻以外の女性とである。  やがてそれまで一緒に遊んでいた女の子たちとも疎遠になり、ひょんなことから妻と付き合うようになって、一年後に結婚した。  要するに何が言いたいかというと、物事には順序があるのだということだ。  基本的に日本人的な無神論者の僕であるが、このことだけは信じている。  言わば、全ての物事には順序があるのだ教信者である。  結果的に妻と結婚する運命だったとしても、だったらもっと早くから付き合っていれば良かったのに、ということではないはずだ。  それまでの恋愛が無駄だったということではない。  そういう順序だったのだ、ということだ。  だから、このときの僕がすべきことは、一刻も早く洗濯物を干すことであった。  もちろん順番としてはYouTubeでバラエティ番組を最後まで見終わることが先なのであるが、妻の一声があった以上、元々の僕の計画など、テスト前の勉強計画のように、もろくも崩れ去り、新たな秩序が与えられたのである。  すなわち、急いで洗濯物を干さねばならない。可及的速やかに。それも全力で。  あとでこの日のことを振り返ると、本当に、もっと早くから洗濯物を干していたら良かったのにと思う。  そうすれば、このあとに僕を待ち受けていた運命も、もう少し違ったものになっていたかもしれない。 「ねえ、あなた。明日の予定なんだけど」  おもむろに、妻は話を切り出した。  きっとどこかに連れて行って欲しいと言うのだろう。  結婚して以来、妻は仕事を退職して家にいる。  月曜日から金曜日まで仕事をしている僕にとっては、たまの休日ぐらい家でのんびりしていたいが、妻にとってはそうではない。  もっとも、妻だって一人前の大人であり、僕がいなくても、平日に普通に出かけていく。  旦那の仕事中に主婦が高級ランチを食べていたとしても、僕らはまだ若い夫婦で子供もいない。  そのくらいのことは好きにしてくれて構わないのだ。  妻がわざわざこうやって切り出すということは、それなりの遠出がしたいのだろう。  今から計画もなしに行けるところだとすると、どこだろう。伊勢か、京都か、それとも伊良子岬あたりだろうか。  それとも、久しぶりに2人で映画でも見たいのかもしれない。 「わたし、そろそろマックが食べたいのよ」  妻が切り出したのは、おそらく他のどんな家庭であったとしても、そんなに問題にならないであろうことだった。 「もう半年ぐらい食べていないのよ。だからそろそろ食べたいなあって。明日はお天気も良さそうだし、しばらく遠くに行くこともなかったじゃない?ちょうどいいかなあって」  マックに行く。つまり、マクドナルドに行ってハンバーガーやらなんやらを食べるということを指す。  これこそ、僕が一番恐れていたことであった。  別に僕がマックが嫌いとか、そういうことではない。  ジャンクフードは特別好きというほどでもないが、定期的に食べたくなる。  つい先週の水曜日にも、会社の近くのマックに行って、昼食にダブルチーズバーガーのセットを食べたばかりだ。  平均すると、僕は一カ月に一回はマックを食べていると思う。  半年ぶりに彼女が食べたくなったという気持ちは、よくわかる。 「い、いいね。あ、ほら。新しく出来たショッピングモールに映画館も入ってるじゃない。ついでに映画も見ようか。あそこの一階にマックあったよね」  夫婦円満な家庭を築くためのルールその1。  外出先を選ぶ際の妻の意見は、聖書の一句よりも重い。  僕はなんとか抵抗を試みたが、案の定、無駄に終わった。 「何言ってるのよ。マックったら、あそこのマックに決まってるじゃない。わたしはマックが食べたいの。映画なんか見たいと思わないのよ。世界一おいしいマック。あそこのマックを食べたら、他のマックなんて食べられるわけないじゃない」  妻は何かに気付いたような、驚いた表情を浮かべて、こう言った。 「あなた、もしかして、他のお店でマック食べてるんじゃないでしょうね」  僕は決まり悪そうに白状した。 「う、うん。君も良く知ってると思うけど、会社の近くのところ」  妻は、この世の終わりに立ち会ったような顔で叫んだ。 「信じらんない!もう、あなたったら、どうしてそんなことが出来るのよう!」 「ご、ごめん」 「わたしが、どこのマックが一番好きかなんて、知ってるでしょう?これは単に、わたしの好みってわけじゃないのよ。わたしはニューヨークでもマックを食べてるんだから。あなたが大学生のときに、日本であの訳の分からない薄汚れた女の子たちと遊んでいたときに。ニューヨークのマックと食べ比べた結果、世界で一番おいしいマックはあそこだって言っているのよ。これは客観的な事実なんだから。それとも、何かしら?あなたも、そこら辺をアイスコーヒーのプラスチックカップを持って訳知り顔でうろついているニワカコーヒーマニアみたいに、マックなんて世界中どこで食べても、同じ味だって言いたいのかしら?」  こうなると、もう僕はひたすら彼女の機嫌をとるために尽力するしかないのであるが、それでも最後の抵抗を試みてみる。  物事には順序というものがあるのだ。同じ散るにしても、抵抗してから散るのが順序だ。 「そ、そんなことはないよ。僕はただ、君みたいに味覚に対して敏感じゃないっていうだけさ。味の違いというものがわからないんだ。そんなにグルメじゃないんだ」  僕は精一杯常識的に対応したつもりだったが、この抵抗は裏目に出た。 「だったら、わたしがいつもあなたにおいしいと思って欲しくて作っている料理は、何の感動もあなたに引き起こしていなかったということ!?」 「そ、そういうつもりじゃないよ。いつもご飯を作ってくれて感謝してる」  僕は必死に取り繕ったが、こうなっては焼け石に水だ。 「毎日、毎日、亭主の留守を守って、お友達との約束も早目に切り上げて、あなたが帰ってくる頃に温かな料理がちょうど食べられるように気を使って、子供が出来たときのために新しい服も買わずに貯金しているっていうのに、半年ぶりにマックが食べたいっていう願いも我慢しなくてはいけないのかしら!?これって、わがまま言い過ぎ!?」  その後、妻の機嫌が直るまで、僕はひたすら頭を下げた。  洗濯とトイレの掃除は僕がやっているという事実はこの際、言わずにおこう。  なにしろ、明日の朝は早い。僕らは早く寝なくてはいけない。マックを食べに行くために。  翌日の土曜日。僕らは朝8時前に近鉄名古屋駅のホームにいた。  駅は、休日を観光地で過ごそうという行楽客でごった返していた。  もちろん、名古屋という大都会では、休日の朝8時にターミナル駅を利用することが日常の範囲内という人だって山のようにおり、スーツ姿のサラリーマンや学生服に身を包んだ若い子たちの姿もよく見かけたから、彼等を一括りに行楽客とすることは間違っているということは僕だって重々承知している。  それでも僕は、どこかからコンパスと三角定規を持ってきて、僕たち夫婦とそれ以外の人たちの間に囲いを作り、常識的か常識的でないかに分けてしまいたかった。  常識的でない方に入るのが僕たち夫婦であることは、言うまでもない。  僕らは電車の中で食べるつもりで、キオスクでコーヒーとサンドウィッチを2人分買うと、駅の構内の片隅にある待合室で特急電車が到着するのを待った。朝早かったから、朝食を食べるヒマがなかったのだ。  関西方面に向かう人が多いせいか、待合室の中では、名古屋といっても、春の到来を待ち侘びたモンシロチョウのように、関西訛りの言葉が飛び交っていた。  テレビでタレントが喋っているようなライトなものではなく、東京の人に比べれば関西訛りに慣れている僕らでさえ、早口で言われると聞き返してしまうような、コテコテのやつだった。近鉄名古屋駅のホームは、すでに関西である。  やがて電車が到着し、僕らは指定された席へと乗り込む。  さっきの人たちは大阪難波に行くのだろう。  大和八木(やまとやぎ)に向かう電車は空いていた。  僕らはサンドウィッチをコーヒーで流し込むと、たわいもない話をして車内での時間を過ごした。  まだ結婚して一年。夫婦間の会話は、普通にある。  最近見たテレビ番組の話(最終的にはいつも自分たちが子供の頃の番組の方が面白かったという話になる)とか、来シーズンの中日ドラゴンズの予想(最終的にはいつも昔の中日は強かったという話になる)とか、二人が小学生だった頃のこと(最終的にはいつもギリギリスマホのない時代を経験出来て良かったねという話になる)とか。  なんだかんだで、僕らは同じ時代に生まれ、同じ地域で育った。  趣味や興味や感覚といったもので、通じるものがある。  早口の方言で喋ったとしても、聞き返したりしない。  主に話をするのは妻の方で、僕は彼女の機嫌を損なわぬよう、上手な聞き役に徹する。  でも、いつも気になっていたことがある。  彼女が昔の話をするのは、小学生の時代までだ。中学時代や、高校時代のことは、すっぽりと抜け落ちている。話を向けても露骨に話題を変えてしまう。  下世話な話だが、もし僕が地元の男友達と酒を飲むとしたら、そう大して酔いが回らないうちに、学生時代の話になっていると思う。  その学生時代というのは、初めて彼女が出来た頃から、やや羽目を外していた大学生の頃までだ。  人に言うのがはばかられるようなことでも、地元の友達の前では話してしまうだろう。  そして、冗談か本気かはわからないが、あの頃の自分は輝いていたという話になる。  下世話で、カッコつけている。馬鹿みたいに愚かで、阿呆みたいに浅ましいんだ。  やがて電車は大和八木駅に着き、僕らは電車を乗り換えた。  これから先の区間は乗車距離が短いので、普通列車に乗る。  大和八木から橿原神宮前(かしはらじんぐうまえ)に着き、すぐにまた乗り換えのホームへと急ぐ。  東西にストレッチされた駅の通路の両側には、簡単な軽食が食べられる店が立ち並んでいるが、寄り道しているヒマはない。  僕らの目的地はさらに電車を乗り換えた先にある。  どうしてマックに行くために旅をしなくてはいけないのだろうという疑問は、どうして会社に行かなくてはいけないのだろうという疑問と同レベルで、心の内ポケットにしまっておく。  橿原神宮前で2度目の乗り換えをし、すぐに尺度(しゃくど)という駅で3度目の乗り換えをする。  名古屋で生まれて名古屋で育ち、今こうして妻と2人、なんの馴染みもない駅を通過していく。  ただ世界一のマックを食べるためだけに。  そして自宅を出てから5時間近く経った頃、最終目的地である、近鉄御所(きんてつごせ)駅に着いた。  取り立てて魅力のない駅を出ると、取り立てて魅力のない田舎街が散漫と広がっている。  おそらく、名古屋を発ってここの駅に到着した人のほぼ全ては、ここからバスで15分ほどのところにある、大和葛城山(やまとかつらぎさん)の登山客であろう。  まさかマックを食べるためだけにここまで名古屋からやってきた夫婦があろうとは、葛城山で修行をした役行者(えんのぎょうじゃ)の神通力を持ってしても、見通せなかったに違いない。  近鉄御所駅から徒歩1、2分のところに、田舎によくあるような、地域住民の暮らしを支える平屋建てのショッピングセンターがあり、敷地内にマックが併設されている。  そしてこここそが、妻が言うところの、世界一おいしいマックである。  僕は妻に連れられて2度程ここに食べに来たことがあるが、正直、違いがわからない。  ニューヨークのとは味が違うかもしれないが、日本で食べるマックなら、どこでも同じではないのか? 「ねえ、やっぱりここは違うわよね。だって、店舗も広いじゃない?東海地方には、ここまで広いマックの店舗はないわよ」  妻のテンションは高い。  僕は彼女が言ったことはイマイチ信じられないでいた。  ここは確かにそこそこ広い店舗だったが、このくらいの広さなら、探せばどこにでもありそうなほどでしかない。  ただ、今まで自分が経験した何軒かのマック(実家の近くと会社の近く。あとは駅かショッピングモールに入っているようなところしかない)よりは、若干広いような気がした。  それに対する具体的反証事例を提示できない以上、妻の主張は有効である。 「わたし、先にトイレに行ってくるから、あなた頼んでおいてね。チーズバーガーのセットよ。ポテトとジンジャーエールでね」  妻のいつもの注文パターンだ。シンプルなチーズバーガーがマックで一番おいしいらしい。  僕はフィレオフィッシュのセットを頼み、先に出来上がった2人分のセットをテーブルに置いて妻を待った。  トイレから出てきた妻は、テーブルの上を見るなり、血相を変えた。 「あなた、フィレオフィッシュが食べたかったの!?なんで先に言ってくれなかったのよ!?フィレオフィッシュだったら、近所のマックが一番おいしいのに!」  僕はどこかで人生の順序を間違えたのだろう。  でもそれがどこだったのかを考えようとすると、頭の中で思考の粒がジンジャーエールの泡のように弾けるばかりだった。
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