「まもりびと」

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 この国の自殺者数は、年間三万人にも 及ぶのだという。自殺の名所として知られ るこの断崖からも、飛び降りる人が年に 二十人以上。その原因の多くが健康問題で、 僕と同じように病に苦しみ、そしてこの場 所で命を絶った人が大勢いるのだと思えば、 崖の向こうに仲間が待っているような気が して、これから訪れる「死」への恐怖が 少しだけ和らいだ。  僕はサンドイッチを食べ終えると、綺麗 にワックスペーパーを畳み、鞄にしまった。  そうして、立ち上がる。  少しずつ濃さを増した夕陽は、きらきら と海面を照らしていて、涙の滲んだ目には 幻のように美しく見える。  「……短かったけど、いい人生だったな」  お父さん、お母さん。  ごめんなさい。  僕を産んでくれて、本当にありがとう。  心の中でそう呟くと、僕は美しい水平線を 見つめたまま一歩踏み出した。 ――その時だった。  「綺麗だなぁ」  突然、背後からのんびりした声が聞こえて、 僕はピタリと足を止めた。そして、ゆっくり と振り返る。すると、誰もいないと思ってい た岩場に、まっ白な白衣を風にはためかせた 白髪の男性が立っていた。  僕は振り返ったままで、どきどきと鼓動を 鳴らす。ほんの数秒前まで人の気配なんかな かったのに、いまはふんわりと煙草の匂い まで漂ってくる。  奇妙な人物の、奇妙な登場に僕が固まって いると、その人は左足を引きずりながら歩み 寄って来た。  「君も夕陽を見に来たのかい?ここは日本 の夕陽百選に認定されるくらいだから、見応 えがあるだろう」  ぷかぷかと、隣で煙草を吹かしながらそう 言った男性に、僕は「まあ」と気のない返事 をする。するとその人は横顔を覗き込んで、 「違うよなあ」と呻くような声で呟いた。
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