「まもりびと」

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「まもりびと」

 自殺の名所として名高いその崖は、僕が 想像していたよりも賑やかで、とても美し い場所だった。  ごつごつとした断崖の向こうに広がる海 は、西に沈み始めた夕陽で淡く橙色に染ま っている。春のやわらかな風に、凪いだ海。  その美しい海から感じるのは「絶望」と いうよりも「希望」という二文字で、けれ ど多くの人がこの場所で人生を終えたくな る気持ちも、いまの僕にはよくわかった。  僕は日暮れと共に人気のなくなった断崖 に立つと辺りを見回し、腰かけられそうな 岩場を探した。そうして、少し迫り出した 岩を見つけ、腰かける。  虚ろな顔をして「友達と花見に行く」と 嘘をついた僕に、母は大好物の自家製コー ルスローと卵サラダのサンドイッチを作っ て持たせてくれたのだ。  まさか、これから死にに行くとも言えな かった僕は、仕方なくそれを受け取り、 遅くなると言い置いて家を出たのだった。  英字が描かれたワックスペーパーに包ま れたサンドイッチを手に持つ。  鮮やかな卵の黄色とコールスローの黄緑。  それを見れば、くぅ、とお腹が鳴って 何だか可笑しくなってしまう。僕は大きな 口を開けてそれにかぶりつくと、「うっま」 と声を漏らした。  マヨネーズが絡んだ卵の甘さと、お酢が 効いたコールスローのシャキシャキ感が 絶妙で堪らない。  休日の部活から帰るたびに、おやつ代わり に母が作ってくれたサンドイッチ。これが 最後の晩餐なのだと思えば、喉の奥にせり 上がってくるものがあって、上手く飲み込め ない。僕はぽつり、ぽつりと温かな水滴で 岩肌を濡らしながら、母の愛情がこもった サンドイッチを頬張った。
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