序章

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序章

 フロックコートの詰襟が喉を圧迫するのを感じ、尾上警部は一つだけボタンを外すことを自分に許可した。  真っ白なハンカチで、額に滲みだした脂汗を拭う。  神田区東松永町にある蓮暁教の本部は、不気味な静けさの中に沈み込んでいた。    賑やかな往来の音も、どこかに吸収されて届かない。  信徒たちは別の部屋に押し込められ、事情聴取を受けるのをじっと待っている。  先ほどから遺体を検分している巡査医師の吉田も、固く口を閉ざしたままだ。 血しぶきの散った障子から夕陽が差し込んで、室内を朱色に染め上げていた。  鮮血を吸って膨らんだ畳の目から濃密な匂いが立ち上り、鼻腔の奥にこびり付く。  切断され、折り重なるように倒れた遺体は、思わず目を背けたくなるほど無残な姿をさらしていた。  縦一文字の斬撃を受け、背開きさながら骨まで削られた男が、血濡れの顔をこちらに向けている。  驚いたような目つきで、なぜ私は殺されたのでしょうと問いかけている。  壁一面に楓の葉のような手形を残したのは、あそこに転がった手首か。  腹から臓物を垂らして死んだ女の、蛙のように開いた腿の内側だけが、浮かび上がるような白さだった。  この残忍さ、人のなせる所業ではない。  カチャカチャと、腰に帯刀したサーベルが鳴る。柄に置いた手は、怒りに震えているのだと思い込もうとした。
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