第五章

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 若頭といえど親とその舎弟との関係には容易に口出しできるものではない。が、二那川はあえて踏みこんだ。  大木を根腐れさせる枝は早めに切る、それが鉄則だ。義理や憐れみで他の健全な枝まで枯れさせては意味がないのだ。 「どう見ても須之内と久城のことがヤクネタなのはお話した通りです。中島組の首根っこを斬りたいとかなんとか建前を言い繕っても、結局のところ叔父貴はヤクネタをおやっさんにも隠して久城の証文を騙し取ったようなもんですよ。それでもおやっさんは叔父貴を庇うんですか? そこまでして久城を掻っ攫っておいてメシも食わせず倒れさせるようじゃ、いくら舎弟頭の叔父貴相手といえど俺にも考えはありますがね。おやっさんが叔父貴を大事にしているのと同様、俺にとっても久城は大事な弟分です」  あからさまに癇に障った表情になった野脇が、丸鼻に皺を寄せて吐き捨てるように答えた。 「わしはあいつに危ないところを何回も庇ってもろうたんや。四十五年の仲を、お前にどうこう言われたくはないわ」 「甘いなおやっさん、だから叔父貴に付け入られるんですよ」 「たわけが、誰に向かって物を言うとるんや!」  投げつけられる激高の灰皿を顔を逸らして避けた。磁器と灰が背後の壁にぶつかり、派手に砕ける音が響く。しかし互いの怒りまでもが砕けたわけではない。睨み合いが沈黙の中にしばし続いてから、二那川は再度口を切った。 「自分は貴方にとっちゃ子分のひとりです、子が親の言うことを聞くのは当たり前の話だ、ですが親に面と向かってこんなことを説教できるのもガキだからなんですよ。ただしガキにとって大事なのは手前の親ひとりであって、親の兄弟なんざ他人も同然ですがね。その兄弟が親の足手まといなら尚更です」  野脇の小さく鋭い目に、逡巡の色がふっと浮かんで消えたように見えた。知らなかったわけではない、組長として、兄貴分として横河の多くの不手際や横車に我慢して目をつぶってきたのだと、二那川は知った。  四十五年の長さは、たしかに重い。他者には量りしれぬ数多の思いが詰まってもいるだろう。  その前では、自分たちの十三年の縁は消し飛ぶような代物でしかないのか。野脇たちに軽んじられても許されるというのか。  ――それは違う。  己と久城の歳月とて、彼らと同等に重い。しかも自分たちと違って彼らのそれはもはや腐れ縁。野脇がこのまま弟分を放置し続けるほど頑迷な男とは思いたくないし、思いもしないが、目が覚めるまで待っていては手遅れになる。多少強引な手段に訴えてでも、目を覚まさせる必要があった。  野脇が煙草の灰を落とそうとしてテーブルに無意識に右手を伸ばし、つい先刻自分が灰皿を投げたことを思い出して舌打ちした。二那川は席を立って棚から新しい灰皿を持ってきてやり、三本目に切り替えた野脇にデュポンで火を点ける。  突発の怒りにも微塵も動じず平然とソファに座った子分を野脇はじっと凝視していたが、やがて根負けしたように両手を広げた。 「横河にも横河の考えがあって須之内のヤマを黙っとったんやろが、そこは確かにわしもええ気はしとらん。せやが、中島組の相月を何とかしたいっちゅうあいつの気持ちに嘘はないんや。久城を食わせとらんいう話も含め、わしからよう言い聞かせておく。せやからお前の腹に収めてくれんか」 「つまり、俺の進言を聞き入れていただくには中島組もしくは相月を大人しくさせるのが条件、ということですか。判りました」 「おい、二那川!」 「久城の前の調査、よろしくお願いします。失礼します」  ソファから立ち上がった二那川は野脇に礼儀正しく一礼し、事務室を去った。  廊下で待っていた渋谷が血の気の失せた面持ちで駆け寄り、何があったんですかと小声で問うてくる。灰皿を投げ付けられた音はフロア中に響き渡ったに違いなく、他の若手は戦々恐々のありさまで遠巻きに二那川を見守るばかり。  二那川はスーツの肩に軽く散っていた煙草の灰を手で払い、口角を歪めた。 「おやっさんの気持ちは俺にも判る。俺でも同じことをしただろうよ」 「は……?」 「独り言だ。行くぞ」  渋谷を従えた二那川は階下にある己の部屋へと踵を返した。
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