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「二那川。お前、最初から最後まで驚きっぱなしやったな? 久城から何かひとつでも聞いたことはあれへんかったんかいな」
やや呆れたような、意外そうな質問に二那川はいいえとあっさり答えた。十三年の兄弟の付き合いに加えて深い仲にもなっているのに、という言外の指摘が含まれていることは理解していたが。
二那川は久城の過去を訊ねようとしたこともなかったし、今回の件があるまで調べたこともなかった。
本人が語らないものをいちいち探る必要はない。眼前の本人を信じていればいい。そう思っていた。
「奴がおやっさんにすら話さなかったことを、俺が訊ねる必要はないでしょう」
野脇は今日二本目の煙草に火を付け、煙を吐き出してソファに背を預けると、苦い微笑を浮かべた。
「お前は昔から、そういう性格やったな……お前のそんな処が、奴にとってはありがたかったのかもしれへん」
「………」
「夫妻の墓は北陸やなく、A県にある。県庁所在地から離れたB市に、久城家の代々の本家と墓があるそうや。義明夫妻が亡くなり、息子の瑛人も表向きは生死不明の扱いやから、義明の従兄弟が跡を継いどるわ。久城は墓参りしたことないんやないか?」
「ないですね。あいつはシノギにかかりきりでしたし、私用で遠出しないタイプですから」
「本家の墓の場所くらいは知っとるはずやが、息子やからこそ、行く気になれへんかったか……無理ないわな。甲斐や親戚は命日や月命日のたびに墓参りしとるそうやから、夫妻も寂しゅうはないやろけどな」
夫妻が大勢の情け深い人々に囲まれて過ごしてきたことが、それだけでも充分に窺えるというもの。そういう両親を持つ久城がいかに豊かな愛情に包まれて育てられてきたのかも、推して知るべしである。
しかし祖父の乱倫が遠因となって、ありふれた日常は突然崩壊した。
久城が帯びた憂いと翳の、底知れぬ深さ。その過去を垣間見てしまえば、無理もないと二那川は思う。むしろここまで生きてきたことが奇跡ではないのか。
「ひとつ疑問なんですが、警察が捜査を打ち切ったということは、須之内の動機も解明していないままなんですよね。死んでいるわけですし」
「“していない”ちゅうより“出来なかった”が正確やとわしは思う。ずっと関東の組におってお勤めもしょっちゅうやった須之内がなんでA県の兄貴の家を知っとって、押しかけたんか詳しくは判っとらん。警察畑の兄貴とヤクザの弟やから、捜査の時にでもなんかあったんかと思いきや私的にも公的にも接点がまったくなく、トラブルも出てこんかったそうなんや」
「では、この経緯を叔父貴はどこまで知っているとおやっさんは思います?」
「む……」
野脇は煙草を左指で持つと、しばし考えこんだ。
「須之内と連絡を取っとったんやから、奴が死んだ直後にかなりの筋は掴んだかもしれへんな。十五年近く経てば緘口令も行き届いとるし情報も薄れるが、直後はまだまだ現場も混乱しとったやろし……」
「叔父貴は須之内が死んだのを、久城の父親か久城本人のせいだと考えているってことですか」
「それは判らん。ただ、あれであいつは思いこんだら一徹やし、妙に義理がたいところもあるんや。ムショで仲良うなって、連絡もそれなりに取っとった須之内がこういう形で死んで、事件のことはずっと頭には引っかかとったやろな」
そういう奇妙に可愛気な所があるから、野脇も舎弟を切れないでいるのは理解する。久城のメモから計算すれば、横河がこちら側に手を下すという日程はまさに須之内と久城夫妻の命日でもあった。あの老人が明確な意図を持っていることは間違いない。
しかし横河の動機はそれで説明がついても、久城がなぜ横河に従ったのかが二那川はまだ判らなかった。
仮に義明ではなく瑛人が須之内を刺したのだとしても、須之内は招かれざる客として久城家に押し入ったのだろうし、正当防衛が成り立つ状況だ。脅迫のネタとしては弱い。
まだ、何かがあるのだ。
久城が横河に抗うことが出来なかったであろう、何かが。
ここまで輪郭を浮かび上がらせ、真相に肉薄してもなお、久城と須之内、横河の間には依然として何かの闇があり、切り札のジョーカーは横河の手元に並んだままだった。
――絶対に許せない。許してたまるか。
久城が十四年という歳月を生きのびてここに来るまで、どれほどもがき苦しんできたことだろう。
たびたび夢でうなされ、誰にも何も話せないほどの呪わしいトラウマを抱え、塞がらぬ心の傷は今もなお生々しく彼の魂を侵食しつづけている。
それだのに横河は久城が必死に隠してきた刻を刳り出したばかりか利用し、罠に掛けて陥れ、彼の矜持と身体を嘲笑いながら粉々に砕いた。
横河を徹底的に叩きのめすだけでは足りない。横河が利用している切り札を奪い、久城を解放しなければ。でなければ過去という名の荊に束縛されている彼の一生は傷を塞ぐことはおろか、前を向いて進むこともできないままで終わってしまう。
「ありがとうございました、おやっさん。助かりました」
表面は感情を見せず、冷静に礼を述べて立ち上がる。
野脇は煙草を吹かしながら二那川を見上げ、テーブルのファイルを指した。
「持っていかんでええんか。お前にやるで」
「いえ、内容は頭に入ったんでおやっさんにお願いします。俺が持っていると、久城の目に触れますし」
「――わかった。そうしよう」
扉を開ける前にもう一度目礼してから、二那川は廊下に出た。
ホワイトシャツの袖を上げ、腕時計を確かめた。昼前になっていた。
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