第十章

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第十章

 A県B市は、大阪市内から車で一時間強の距離である。  歴史ある神社や寺は災害に強い地に建っているという説のとおり、久城家の菩提寺である古刹は海が見晴らせる坂の上にあった。  昼から天候が崩れるという予報と、甲斐が週末に墓参りするときは午前中早めという情報を得ていた野脇は、横河のアポイントメントの希望を断って翌日に回させ、当日の朝九時に現地入りした。  墓地の近くに広い駐車場があり、そこに車を停めさせた黒服姿の野脇と二那川は若手を七名従え、住職に挨拶を済ませてから久城家の墓石を探した。   敷地内は綺麗に手入れされ落葉もなかったが、特に久城家の墓がある一帯は清掃の手間も要らぬほど手入れが行き届いている。代々の名家で親戚が多いこと、義明夫妻の知人が月命日に訪れているという情報は、本当だったのだろう。朝日を静かに浴びて佇む墓石は砂埃もかぶっていない。刻まれた夫妻の享年を眺めやった野脇が、(むご)いと呟いた。 「――若いのう」 「そうですね」 「順風満帆の、言うことない夫婦やったやろに」  亡くなって十余年が経とうとも現し人との縁が続いているところに、夫妻が多数の血縁友人に恵まれた人々であったことが窺えた。  二那川が柄杓を取ろうとするのを、野脇が止めた。 「わしがやろう」 「おやっさん」 「久城を預かっとるのはわしや。親御さんへの挨拶は、わしがするのが筋やろ」  水を掛けようとした瞬間、花を持って控えていた若手の山本が声を上げた。 「おやっさん、来ました!」 「―――!」  野脇と二那川が同時に振り替えると、ダークグレーのスーツの上に黒いコートを着た初老の男性と、彼を取り囲む目つきの鋭い黒服の男が五名、こちらに近付いていた。中心の男性は菊の花束と手桶、柄杓を持っている。  黒服の男たちが、先に久城家の墓前に来ていた野脇組の一行を目にするなり、男性の前に即座に立ち塞がった。  俊敏な身のこなし、足の運び。耳のインカム――間違いなく公式に配属されたSP。  それを遮ったのは、守られている男性だった。  白髪と黒髪が混じった清潔な短髪を撫でつけ、野脇よりもやや年下と知れる。能楽師のような品ある細面には相応の年輪が刻まれ、仕立てのスーツを着こなした長身のすらりとした立ち姿は、善良な人々には大手企業に勤めている幹部とでも好意的に映ることだろう。しかし二那川のように裏社会に属して長い者には、昏い采配を揮ってきた者独特の凄味が炯々たる眼から感じられる、そういう人物であった。  男性は見るからに任侠界の大物と判る野脇らにも微塵も臆することなく、厳寒の冷気よりなお冷ややかな警戒を漂わせるSPらの数歩前に進み出て、口を開いた。 「これは……野脇組二代目と若衆頭のお二人が、こんな田舎の墓地に揃い踏みとは。何事ですか」  裏社会の人間相手であろうとも礼儀正しく、非の打ちどころのない物腰。  野脇も歩み寄り、名乗った。 「甲斐朋数内閣情報官でいらっしゃいますな。野脇組二代目、野脇弦大と申します。こう早くお会いできるとは思いもよらへんかった。そしてさすが、トップキャリアは記憶力が違う。わしらのような日蔭もんの顔と名前まで、きっちり覚えてはる」 「なぜ、ここに」 「お宅が毎年この墓所に墓参りに訪れるという情報があって、ちとお邪魔させてもらいましたんや。お互い人目は喜べん立場やしな、無礼千万は承知でここを選ばせてもらいました」 「………」 「お宅に迷惑のかからん場所を押さえてあります。一時間で構いませんのや、付き合うていただくわけには参りまへんやろか。タダとは云わん、ええネタも持ってますさかい。SPさんらには部屋の外で待ってもらうことになるが、勿論わしらのボディチェックはしてもろうてええ」  甲斐は野脇の提案を黙って聞いていた。  断ろうという気持ちが彼の胸中を過ぎったのかどうか、祈るように見守っていた二那川に判じることは出来なかったが、久城家に本気で弔意を示そうとしていたこちら側の持参品を目に止めた甲斐は、双方の墓参りが終わってからであれば、と言葉少なに答えた。
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