第十章

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 冷ややかな皮肉にも苛立つことなく、野脇は肩をすくめてさばけた態度で応じた。 「いや、驚きはせえへんかったな。逆に納得したくらいですわ。だいたいわしらは半端もんの集まりでっせ、お上でもあるまいに、入って来るもんの身元だのをいちいち気にしますかいな」 「たしかに」 「もう懐に入れた奴を追い出すわけにもあかんし、それが使える奴となると、手放すのはゼニを損するより勿体ないでっしゃろ。放っておいても極道の世界でここまで登ってもうたのは、親父さん譲りの才能やろな――ま、要するに知らんほど強いことはあれへん、ちゅうことになるやろか」  呑気に唇を緩めた野脇の横顔は、悪びれない少年のそれだった。  阿りでも芝居でもない、本気で彼はそう思って、そう久城に接してきたのだと知れる笑みに、甲斐の氷のような気配に血が通った。野脇が海千山千の刑事や同業者としたたかに交渉し、暴対法以降も組織を維持して来ることができたのは、こうした独特な腹の割り方。これで、甲斐から踏み込んだ話を聞ける――二那川は確信した。 「墓を掘り返すようなことはしたくないが、と二代目は先ほど仰有った。それは、久城夫妻の事件のことをお尋ねになりたいのですか」 「その通りや。そっちは、ここにおる久城の兄分の二那川がご説明しますわ」  後を引き取った二那川が口を開いた。 「私のせいで、少々厄介な揉め事が起きてまして。そのとばっちりで久城が面倒なことになっています」 「揉め事……? まさか瑛人君の命に関わるのか?」 「残念ながら、場合によっては」 「おい、二那川」  大袈裟すぎるのではと腕に触って野脇が窘めるのを、二那川はきっぱりと、断固として拒んだ。これだけは譲れなかった。 「おやっさんも知っているでしょう、あいつが飲み食いを忘れやすい奴だってことを。ただでさえそうなんだ、この二週間あの環境で食えるわけがないし、満足に食わせるような連中でもないんですよ」 「それは、そうやが」  二那川の焦燥を嘘偽りでも誇張でもないと察知したのか、甲斐はふたりに割り込むように判ったと答えた。 「伺おう。話してほしい」 「ありがとうございます――私の敵に、刑務所時代に須之内と同房だった者がいます。久城が須之内の甥であることも、事件の内容も知っている男です。久城は自分の過去を我々にも隠して来たのがあだとなり、その男にゆすられ身動きの取れない状態にあります。我々もある程度のことは調べてきたが、ゆすりの大元を突き止め切れていない。この稼業ですから、同じことを目論む奴が今後も現れかねません。ですから、詳細をご存知であろう情報官のお力をぜひ借りたいのです」 「つまり、脅迫のネタを突きとめて禍根を断ちたいと?」 「その通りです」 「………」  脅迫は周知の情報や常識的な行動では成立しにくい。二者間の、極めて狭く、なおかつ片側に多大な不利を及ぼしめる情報や行動でなければ意味がない。  脅迫を無効化するにはされている側に不利が及ばぬよう守るか、敵側の情報や行動を読んで制するか。二那川の、より積極的な防御で久城を守ろうという意欲を見て取ったのだろう甲斐は、聞く側にも覚悟を促すかのように答えた。 「瑛人君の履歴を、今になって遡った事情は承知した――ただ、繰り返すがこれは表沙汰にできない重大事件だ。彼だけでなく亡くなった義明夫妻のプライバシーにもかかわるし、瑛人君が話したがらなかった意志も尊重したいのだ。どこまでの情報をそちらがお持ちで、何をお聞きになりたいのか、それを伺ってから判断したい」 「せやな、仰有るとおりや。二那川、どないするんや?」  二那川は頷いた。 「判りました……私がお尋ねしたいのは、須之内の動機に繋がるであろう久城父子との関係と、誰が須之内を殺めたのかです。久城瑛人は組に入るときに『叔父に極道者がいる』と話しました。須之内と義明氏に直接のトラブルはなかったと聞いていますが、須之内は腹違いの兄と知っていて殺したのでしょう。ただ、義明氏が父の隠し子である須之内の存在を把握していたかは判らない。その状況で、息子の瑛人はどうやって須之内のことを知ったのか――そして久城家で火事の前に須之内を刺したのは、義明氏と瑛人のどちらなのでしょうか」  甲斐は若干の歯がゆさを交えつつも、感服したように答えた。 「……誰が、須之内を刺したか……そうか、そこまでご存知なのか、貴方がたは」 「お話ししたとおり、ゼニをそれなりに掛けましたんでな」 「―――」  頭の中を整理するためか甲斐はしばし黙りこくり、机の木目に半眼の視線を落とした。が、すぐにミネラルウォーターを取り出して含むと、意を決したように口を開いた。 「まず、義明は須之内の存在を知っていました。父親が亡くなった二十歳のときに実母から『一ヶ月下の弟がいる』と写真を見せられたと言っていました。それまでは腹違いの弟がいることなどまったく聞かされていなかったそうです。私は大学入学時からの親友だったので、彼の父の葬儀後に教えてもらったのです」 「ほう、亭主の女遊びを正妻も承知しとったんですな。金持ちや名家にはありがちっちゃありがちやが……ほなら遺産相続なんかで愛人が分け前をせびりに現れたんとちゃいますか」
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