第十章

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「――ちとすまんが、質問があるんやが」  野脇が空気の流れを変えるかのように、気を取り直した口調で質問した。  すぐさま甲斐も意識を戻し、なんでしょうと応じる。 「本庁は、義明氏と須之内が腹違いの兄弟いうのはずっと知らんかったんやな? いや、知っとったらなんぼ優秀でも出世させんわな」 「私しか知りませんでした。念のため、須之内が刑務所を出入りするたびに私が行方を調査していましたが……A県で久城家の親族がしっかりと母子を守っていましたし、須之内はよく刑務所の世話になっていたので、引っ越し後は義明もそこまで神経を尖らせてはいませんでした」 「この県は大阪ほど人口も多うないし、妙な余所者がうろついとったらバレやすいしな」 「先ほど二代目がDNA鑑定のことをちらっとお話なさいましたが、火事のときに三名の亡骸は法歯鑑定とDNA鑑定の両輪で身元特定が進められました。その際にはじめて義明と須之内の血縁関係が幹部層にも知られ、久城家の古老から義寅氏の隠し子の証言を取った次第です。異例の即断で徹底的に事件が葬られたのは、それも一因です」 「そうか、そこで判ってしもうたんか。そら警察も大慌てするわな」  合点が行ったと大きく頷いた野脇に、今度は甲斐の方が質問をぶつける番だった。 「ところで、二代目がはじめに言及なさった、お持ちのネタとは」 「ああ、それな」  組んだ腕を解き、右腕の拳を机に乗せて野脇は唇を吊り上げた。 「中島組の若衆頭、相月のことや」 「――残念ながらそれは、持ちこみ先が違います」 「腹の探り合いはいまさら無しにしましょうや。お宅らも掴んではるやろ、某国の元王子はんや与党幹部の息子始め、超セレブの“豪遊”に関わる話やねんで」  甲斐の呼吸が明らかに引き締まり、本腰を入れた目つきになる。 「伺いましょう」 「相月がシノギにしとる六本木の超高級クラブ『Diamant』が本丸と見せ掛けといて、実はもうひとつ、極秘の場所がありますんや。表向きは軽井沢に新興IT企業のオーナーの大京が社交用に建てた贅沢な別荘やが、中身は相月の企業舎弟のイベントプランナーが運用しとるのが実態や。そこで誰がどんな“パーティー”に勤しんでるか、お宅らが察せないわけないわな」 「さすがは二代目と、今度も言わせて下さい――実を言えばその別荘は完成直後から胡乱な噂が飛び交い、澤本との繋がりも突きとめたが、逮捕に持って行けるような物的証拠を掴めていない状況です。集まるメンバーは内外のとびきりの上流階級のため警備も緘口令も厳重で、内偵も容易ではなく、連絡員が三名殉職しました」 「三人か。腕利き揃いやろに、それはお宅らも悔しいやろ」 「はい。手を引くとまでは行かないが、その別荘は半ばアンタッチャブル化しているのが現実です」 「なら、わしらがお役に立てるかもしれへん。証拠の一部は、この二那川が持っとる」 「何ですって!?」  甲斐の表情が我が耳を疑う形ではじめて大きく変化し、座椅子からわずかに腰を浮かしさえした。  意表外も意表外だったのだろう。 「相月が、いざという時の保身と恐喝のために盗撮して溜めこんでましたんや。ちょっと吐き出させただけで違法ドラッグ、未成年売春、乱交とまあ、色々と写ってまっせ」  二那川は自前の携帯電話からあらかじめデータを移し替えてあった新品の機器を向かいの人物に差し出した。  写真フォルダをタップした甲斐は次々と画面をスクロールし、時々画像を拡大しながら中を素早くチェックしていく。フェイク画像でないことはセレブのラインナップや遊戯の状況、カメラの撮影角度で判別できるのか疑う様子はない。顔色も変えず、眉もひそめず、ただ目と指を機械的に動かす様は、こんなサバトさながらの現場なぞ飽きるほど目の当たりにして来たのだろう、彼の仕事の一場面を何よりも雄弁に物語っていた。 「なるほど、内部はこうなっていましたか……」 「石油が欲しいからって鼻つまみ者のボンボンをうちの国に入れるわ、政府支持をネットで扇動してもらうかわりにIT長者の機嫌を取ったりするわ、なんぼなんでも上流階級のやりたい放題で、舐められすぎとちゃいますか? わしも二、三ほど中身を検めさせてもらいましたが、反吐が出るほど酷いもんですがな」 「法整備が為されていないスパイ天国なんですよ、我が国は」 「目こぼしもらっとるわしが言うのも大した筋違いやけどな、そこを何とかするのがお宅ら賢いお上の仕事ですやろに……何のために国民がたらふく税金納めとるねん」  関西弁でニュアンスは冗談めかしたものにはなっているものの、鼻に皺を寄せながらの半分本気の野脇の嘆息に、今度は甲斐のほうが公僕として苦笑する番だった。 「ごもっともです。言葉もない」 「ぜひ考えておいて欲しいもんですわ。で、このデータはまだ一部で、全容はいまこいつの子分が探っている段階や。入手次第、そちらにお渡しするつもりなんやがな」  すべて見終わって概要は頭に収めたのか、携帯電話を卓上に置いて二那川に返しながら、甲斐が用心深く野脇に問いを投げかける。 「これほどのネタを、瑛人君の件でお会いしただけで提供下さるとは考えにくい。盗撮映像を全回収しようとなさっておられるのは、そちらの脛にも傷があるということでしょう」 「呑みこみが早くて非常に助かる。一点、交渉というかお願いがありますのや」 「何でしょう」 「そこに写っとる連中とうちが共倒れにならんよう、一日だけ待ってもらえんやろか。身内の恥を話すが、お察しの通り相月と繋がっていた者がいたんでな」 「写真に写っていた舎弟頭の横河周蔵ですか」 「そう、そいつが久城をゆすった大馬鹿者や。一日あればその大馬鹿とうちの関わりを断てる」 「――いいでしょう。関係部署にその旨伝えます」  会話の途中で突然振動音が響いた。現代人の誰もがそうするように野脇と甲斐も音の発生源をなんとはなしに探し、二那川のスーツに注視が集まった。  二那川は自分の電話をポケットから取りだして画面を見た。“渋谷”の文字。 「失礼します」  席を立った二那川は、庭が一望できる掃き出し窓の縁側まで歩いて行き着信した。 「俺だ。なんだ」 『お忙しいところ申し訳ありません、(カシラ)。たった今、全データの入ったHDDを回収しました』
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