第十章

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「SPが!?」 「なんと、正気ですかいな」  こともなげに語られる意外な展開に、二那川と野脇は思わず同時に声を上げてしまった。さしもの野脇も瞼を大きくひんむいてしばし絶句し、それでは足りず天井を仰いで西洋人のように両手を広げる。 「日陰もんのヤクザがお上に護ってもらう時代が来ようとはな。そらわしらのほうは百人力で有難いが、優秀なSPたちが気の毒なこっちゃ」 「当方も正直、なりふり構っている場合ではないということです。公安としてはそれほど大きなヤマなのです」  甲斐の本気度と義侠に二那川もためらわず、携帯電話のメッセージアプリで渋谷に連絡した。すぐさま詳細が届き、甲斐に伝えるとそれが瞬時に現場にもたらされた。選りすぐりの手練揃いのSPに警護される心強さは、裏社会の人間だからこそ理解している。だからといって渋谷も気を緩めるような男ではないが、安心感は段違いだろう。 「情報官。うちのもんをよろしくお願いします」 「お願いします」  二人揃って軽く目線を下げた。  甲斐は首を振り、よろしくと頼みたいのはこちらだと返してくる。 「貴方がたのお陰で、膠着状態だった案件に光が射した。義明の命日であるこの日に彼が繋いでくれた縁を、何としても無駄にするわけには行かないのです――そちらでのデータを確認が終わり次第、府警の作業班がHDDを引き取りに伺います」 「了解した。遅くなるが、必ず今日中に連絡しますわ」 「蛇足ながら、ひとこと。そちらに不利なデータがあっても消去はしないでいただきたい。たとえそうなさっても、復元できる以上無駄です」 「なんや、そうらしいな。詳しい子分からさんざ聞かされましたわ。アナログ人間のわしには何のことかさっぱりやが」 「お身内もずいぶんとお詳しい」 「昨今の極道もんにも、お宅らほどやないが、それなりにインテリはおるんですわ」  野脇がやや子分自慢風に胸を張って締めくくると、続けた。 「お互いぐっと忙しくなりますさかい、ここいらで終わりにしましょう。お時間を取ってもろうて助かった。礼を言いますで」 「こちらこそ。有意義な情報に感謝します」  新たな修羅場に向けて全員が立ち上がり、座を離れる。  野脇は真正面から甲斐をしばし見上げると、感じ入ったように破顔した。 「久城義明氏は大した男やったのが、改めてよう理解できましたわ。息子の瑛人を見とっても充分判ることやったが、なんせお宅のような男とずっと一番の親友やった訳やからな。実に立派なもんや」 「不知其子、視其友(その子を知らざれば、その友を視よ)ですか。私こそが、彼に親友と遇されたことは大きな誉れだった。彼は生涯の親友です、私が死ぬまで」 「そうか……ええことや。なかなかそういう関係は、今どきは少のうなりましたからな」  ふたりの遣り取りは人間としての、人生経験豊富な者たちならではの率直な述懐であった。  美しい花を美しいと感じる心に年齢や職業が一切関係がないように、絶対的な価値の前では社会的な立場の相違など意味がなくなる。  賛嘆しながらもどこか寂しさを滲ませる野脇の声に、四十五年も信じてきた弟分に裏切られたばかりの拭いきれぬ傷の深さと、固い友情で結ばれた甲斐たちへのかすかな羨望を二那川は感じた。
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