第一章

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 お前が来ると思っていた。  それが、組長室に居た野脇の第一声だった。深夜を越えても、自分の仕事はその日のうちに済ませるのが彼の流儀だったのが幸いし、二那川はクラブの帰りにアポイントメントを取ることができた。  側近はおらず、文字通り二人きりの場である。壁の装飾も什器もダークブラウンの木目調で整然と統一された広大な部屋で、野脇は椅子の背凭れに上体を預け、机の前に立っている若衆頭を見つめる。 「夜分遅くの非礼は承知していますが、ありえない事態だと思いますので」 「ありえない、とな。わしに取っては、お前らのほうも充分ありえんと思うが、二那川」 「奴との仲がですか」 「そうや」  以前から問いただしたかったのであろう、二代目の代紋を背負う六十八歳の侠客は、豊かな白髪に縁取られた大様な顔を若干しかめた。そこに不快はなく、戸惑いの色がある。どっしりとした体躯の構えを崩さず、なんでや、と続けた。 「お前も久城も、女に不自由しとらん。久城がときたま男を買うっちゅう噂はわしの耳に入っとらんでもないが、お前にその趣味はないはずや。何をとち狂うて、お前らがつるんだんや」  傍から見れば、なるほどとち狂っている以外の何物でもなかったか。  二那川は他人事のように、自分たちの関係を思い返す。  人並み以上の女好きである自分と、バイセクシャルの久城。刑務所のような閉鎖的な環境でもないのにそこに関係が成立する可能性は低い。しかも、かりにも野脇組の若頭であり二次団体稜菱会の三代目を継いでいる人間と、若頭補佐という、目立つ立場にある同士である。  近しいからこそごく自然に肌を重ねた流れは、しかし他者にとっては――野脇にさえ――異端としか映らないことを、二那川はやむを得ないと解釈した。真実は自分たちだけが知っていればいい、と。 「別にふざけているわけではありません、遊びの延長みたいなもんです」  野脇は苦虫を噛みつぶしたような顔で答えた。 「当たり前や、男相手に本気出したら、物笑いの種になるだけやで。まったく、お前らは揃いも揃って悪びれもせえへんと、どういうことや。久城に問い質しても、顔色ひとつ変えんと頷きよった。ちょっとは否定するなり、うろたえるなりすれば可愛げもあるもんを」  野脇の語調は横河と違って息子の素行を憂う父親の嘆息に近く、言葉面ほど迷惑がってはいなかった。他者に付け込まれる隙となった今日に至ってようやく、文句のひとつも垂れる気になったらしい。だが、二那川にとっては説教よりも、なぜ横河が彼を欲しがったのか、なぜ野脇がそれを許したのか、そちらの方がはるかに重要だった。 「おやっさん、お叱りは後で受けます。それよりこの大事な時期に、叔父貴が奴をかっさらったのは何故です。俺が奴を抱いているからですか」  静かに、言葉を選びながら問うと、野脇の表情が暗くなった。薄紙が被ったように僅かなものだったが、彼に侍って長い二那川は見逃さなかった。 「他にもあるが、それもきっかけにはなったやろな……そもそもは、中島組の相月(あいづき)を大人しくさせる勝算がある、あれはひと月ほど前からそう言うて引かんかったんや。それには久城の知識が必要やとな」 「あの相月を? 叔父貴にどんな策があると言うんです」 「相月のシノギを潰す手があると言うとった」
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