第十一章

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「すまんが、詳しくは言わん。その男が信用できる理由だけお前らに教えておく。そいつは、久城の親父の親友なんや」 『久城の? 久城の実の親父はとうに死んどるんやなかったかい』 「その通り、大昔に墓の下や。せやが、このキャリアは親友が死んだあともその息子のことをよう覚えとった。その縁で、今回に限り必ず互いの条件を呑むとわしらは約束した。サツでさえ獲り切れんかったこの証拠を喉から手が出るほど欲しがっとるのも、本気なのもむしろ向こうなんや。横河の言動から長い間目を逸らしてきたわしが言うても説得力がないかもしれへんが、このキャリアがわしらを騙す心配は絶対にない」 『………』  どうしたものか、という迷いに陥る者。  いや、やはり納得は行かない、と渋面を作る者。  正義の側にあるエリートキャリアと極道が相容れるわけがないではないか、と頭から拒絶して声を上げる者。  収拾のつかぬほどの混乱を収め、風向きを変えたのは、それまで極力発言せず成り行きを見守っていた相談役車田の一言であった。 『――遅きに失した感はあるが、ぎりぎりじゃったなあ、兄貴よ』 「そうや。二那川たちがようやってくれたお陰や」 『首の皮一枚のところでその元ウラのエリートと繋がって助かる言うんじゃけえ、良しとせにゃあなるまい。皆も判っとるじゃろ、悪いんは食うや食わずやの時代からずっと同じ釜の飯食ってきた兄貴を、こがいなクズどもに尻尾振って裏切った横河じゃ……四十五年も兄弟じゃった弟を疑え言うほうが(こく)ちゅうもんじゃろ?』 『そりゃあ、まったくもって車田の兄貴の言う通りじゃが……』 『兄貴のサツとの取引の腕は、皆がよう知っとってじゃろ。その兄貴が、元ウラと直接会うて信頼に足る義侠の男と見極めとるんじゃ。それしか裏切りもんの横河のしでかしたことを綺麗に解決する方法はない以上、わしらが文句垂れる筋合いなんぞ、なかろうじゃないか』  さすが近隣の組をまとめる手腕においては随一と言われる、老練の結語であった。  不平不満の空気が会議の場から一気に消え、横河組組長の絶縁決定、回状送付の裁断が野脇から改めて言い渡される。  野脇は終会を宣言すると、幹部らの礼によって椅子から立ち上がった。  二那川も野脇に一礼した。 ※ ※ ※  二那川の一行は会議が終わるなり事務所の地下に降りて車に乗り込むと、横河のマンションへの移動を始めた。  車窓を流れるのは、赤い航空障害灯を灯した高層ビルが雨上がりの天空を染める夜景。タワマンや街路樹のクリスマスイルミネーションが煌煌しく造る地上の天の川をちらと眺めた後で腕時計をチェックし、この時刻であれば道は渋滞していまいと考えていたとき、携帯電話が鳴った。  車田であった。 「はい、二那川です」 『二那川、ようやったぞ。大したもんじゃ』 「とんでもない、叔父貴が教えて下さった情報のお陰です。今日も、叔父貴が皆をしっかりと宥めて下さった。お陰で、おやっさんも大分気が楽になったと思います」 『なんじゃ、大したことはしとらんけえ。当然のことをして、言うたまでよ』  電話の向こうの磊落な破顔が見えるような、明るい声音だった。  重鎮の相談役として野脇に何度も忠告し、横河を牽制してきた車田だからこそ、長年の齟齬の状況が解消したことに安堵が抑えきれぬようであった。  『後のことはわしら年寄りに任せえ、二那川。そのための年の功じゃ。お前はお前の目的を果たしに行け。外道もんに容赦も遠慮もいらんけえの』  言われるまでもない。二那川は口端に冷酷極まりない笑いをうかべる。 「承知しています。ありがとうございます」 『おう、じゃあの』  通話の切れた機器を懐に仕舞い、外を睨んだ。  運転手が滑らかに信号を右折して東にまっすぐ進む。一秒一秒がもどかしく、惜しかった。 「頭、あのマンションです」  助手席の渋谷がフロントガラスを指差す先に、低層型の高級マンションが見えてきた。
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