第一章

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 ――無理だ。  二那川はすかさずそう断じた。  横河は武闘派でもなく、さりとて頭脳派でもない。  兄貴分の野脇と違って万の子分や舎弟を纏める力量もなく、小狡い搦手(からめて)を弄することばかりの男に、中島組の若頭を張る相月賢作を越えることなど可能なわけがない。  己ですら、相月の手蔓である複数の麻薬ブローカーや飲食店の裏方を突き止めることで資金源を断ち、外堀を徐々に埋めて来た。ろくな成果も出せていない横河に自分以上の働きがどうやってできるというのか。 「お前たちが中島組を大人しくさせるために、ようやってくれとるのは判っとる、二那川。久城がお前の手元に戻り次第、相月のことはお前らに引き続き任せようと考えとる。せやから、これはあくまで一時的な小休止やと思え」  俺は休めても、あちらに行かされた久城は休めません、そう返したいのをやっとの思いで二那川は堪えた。  横河が用意した大義名分は、中島組への攻撃。それは野脇も久城を貸すことに反対はできなかったろう。反発し合っている弟分と子分に挟まれ、どちらの顔も立てるべく苦慮している野脇を見ていると、こちらは引き下がるしかない。  だいたい野脇が以前から横河に甘いのは骨身に沁みている。  彼らふたりは駆け出しの頃からの付き合いで、弟分の横河によって野脇は何度も生命を救われたことがあり、舎弟頭という地位はそれに報いたものだった。  人と人の縁は建前や地位を簡単に超える。四十五年の歳月の前では、自分の反論など児戯に等しい。  ひとまず中島組のことはおいて、先を促すことにした。 「で、他にもあると言うのは何なんです」 「――久城の叔父が極道やったことは、お前にも言うたな。久城の親父の弟に当たる須之内いう男らしいが、そいつと横河は府中で知り合って、時々連絡も取ってたようなんや。その縁で、横河は昔から久城に関心を持っとったんや」  はじめて聞く話だった。久城の伯父だか叔父がヤクザ者だったことは本人が野脇に語り、後に二那川にも告げたが、その男と横河が知人だったとは。 「“ようや”ちゅうのは、わしはその須之内と面識はあれへんし、横河も前にちらっとそのことに触れたきり、わしにも詳しいことを言わんからや。とにもかくにも、相月の件だけでなく須之内とのことを含めて、久城をどうしても借りたい言うてな。あれが一度言い出したらきりがない。久城とも話したが『行く』てわしに答えてな。結局ああなった」  おそらく久城も、横河が叔父と面識があるとは知らなかったのではないか。そしてそれは、二那川との関係さえ冷静に肯定した彼にとって、かなりの揺さぶりとなる何かがあったに違いない。知っていればすでに防御策を施し、横河に踏み込まれたりはしなかったはずだ。二那川は野脇の説明を聞きながら確信した。  とすれば、野脇の与えた約定を覆して横河の優位を消すには、久城と須之内そして横河の繋がりを調べ、先んじて相月を潰す必要がある。小休止の暇どころか、ますます忙しくなると覚悟した。  どんな困難があろうとも必ず成し遂げなければならない、でなければ命綱を握られた久城がどんな目に遭わされるか知れたものではなく、横河の組織内での増長がますます酷くなる。それをおめおめと看過するくらいなら、掟に逆らってこの手で横河を倒したほうがまだしもだ。 「判りました。なら俺がその須之内という男を調べてみます。おやっさんさえ知らない極道者を盾に身柄の証文を獲るなんざ横紙破りもいいところで、見過ごせません。そいつは須之内なんという名前なんですか」 「さあ、たしか須之内次郎、とか言ったか……少なくともわしの耳に入るような奴ではなかったのは確かや。親の系列もまるきり違うやろし、大昔に死んだということやし」  横河が府中刑務所で服役していた時期は古参に聞けばすぐ判明する。  そこから探ってゆくしかあるまい。 「ほどほどにしておけよ、二那川。ほどほどにな」  野脇の噛んで含めるようなひとことに含まれる多くの意味に二那川はあえて答えず、目礼して部屋を出た。  今はただ、時間が惜しかった。   ――俺から久城を奪う奴は、誰であろうと絶対に許さない。許してたまるものか。  その思いがすでに、単なる“遊びの延長”では決して持ち得ないことを、この時点での二那川は理解していなかった。    
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