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第二章
翌日、二那川は横河に次ぐ相談役の地位にある車田組組長、車田登喜夫にアポを取って自宅を訪れた。
広島の出だが夫人が洛中出身のため京都府内に広大な日本家屋を構える車田は、地元の小さな組織を複数まとめる手腕に長けた人望ある古参で、パチンコや興行界をメインとするシノギで数多の配下を食わせているやり手だった。
子供好きで孫も十人を数える、太鼓腹に剥げ頭の好々爺といった風情の老人だが、実は数多の“部隊”を持つ系列組織きっての武闘派であり、二那川の父とも旧知の人物であった。
「久しぶりじゃの、二那川ぁ。なんじゃお前、ますます親父さんに似て男前になりおって」
洋風の客間に現れた車田の開口一番は、この大音。
ソファを立って出迎えた二那川は苦笑を浮かべた。
侠客だった二那川の父はその昔、界隈きっての二枚目ともてはやされ、夜の街で女たちが群れを成したという伝説の持ち主だった。妻を病で亡くして引退し、その五年後に自分も病で天寿を全う。そういう意味では、極道としても一介の男としても倖せだったといえる。
車田は二那川の希望を容れて人払いをすると、再度座るよう促しつつ、自分も勝手知ったる我が家なれば向かい側に腰を落とす。
もみあげから顎、上唇にも短めに蓄えた口髭と薄いサングラス、和装は車田のトレードマークで、もう七十の今は白髭になっているが威厳は相変わらずだった。
「久城のことは聞いとる。お前も不本意じゃろう」
「仰有る通りです」
「まあしかし、なんでお前らがのう」
車田は肩を揺らしてくつくつ笑い、太く丸っこい金の指輪をした右手にコイーバを取るとヒュミドールをこちらに押しだした。
「お前もやらんか」
「いえ、結構です」
「遠慮せんでええじゃろが、久々にツラ見せたんじゃけ付き合え」
「では、シガリロをいただきます」
モンテクリストを選び、自分のライターで火を点ける。重い蓋が奏でる独特の開閉音を、さすが愛煙家の車田は聞き逃さない。おのが葉巻の端をカットして火を付けると、ジャケットの隠しにライターを仕舞う二那川の手元をじっと注視してきた。
「二那川、ええデュポン持っとるの? お前、昔はダビドフじゃったろうが」
「……気分を変えようと思いまして」
「なんじゃ、どこぞの女にでも貢がれたんか。お前らしいの」
「―――」
老侠客は答えを発さない二那川を気にした様子もなく、白い煙を照明に向かって長く吐き出し、指の代わりに葉巻の先を突きだした。
「だいたいのう。ムショで男の味を覚えて出てくる奴もおるっちゃあおるが、お前らはお勤めを一回もしたことがないモン同士じゃろ? 兄貴もそらたまげるちゅうもんよ。女泣かせの二枚目たちが何しよんなら、最近の若いもんの趣味は複雑ちゅうか、前衛的すぎて年寄りにはついていけんわい」
「そう前衛的でもないと思いますよ。古来からあるといえばあるんですし」
「なにが古来じゃ、大学出たからってインテリぶりおってからに」
そう来たかとひとしきり呵呵大笑した車田が五分ほど葉巻を楽しむのを、二那川は邪魔せず待った。気が済んだらしい老人は吸い口を離して灰を落とすと、にやりと目配せを送ってきた。
「さて、そろそろ用件に入った方がええじゃろ? なんでここに来た、二那川」
「ありがとうございます。二十七年前、横河の叔父貴が府中に入っていた時に一緒だった『須之内次郎』という男のことをご存知ないですか」
「須之内、次郎……?」
葉巻をまた吸いこみながら車田が虚空を仰ぎ、唇を曲げた。サングラス越しにも判る怪訝そうな面差しからして、本気でほぼ知らないと踏んだ。紫煙混じりの問いも、それを裏打ちするものだった。
「やくざもんか?」
「はい。久城の亡くなった親父さんの弟に当たるとか」
「生きとるんか、それとも墓の下なんか」
「おやっさんも当人を知らないそうなんですが、横河の叔父貴がもう故人だと言っていたと。その男のことも、叔父貴が久城を掻っ攫った理由に関わっているらしいのです」
「ふん。兄貴もわしも知らんくらいじゃけ、小物っちゅうのは間違いなかろう。横河と府中で同房だったちゅうたら、あんまり大した戒名(罪状)でもなさそうじゃし……ちと待っとれ、大昔の電話帳はスマホじゃのうて別の部屋にあるんじゃ。心当たりに何人か当たってみるけえ」
「ありがとうございます。お手数おかけします」
頭を下げた二那川と葉巻を置いて立った車田は、なんぞ飲み物と菓子を追加で持ってきてやれと若衆に命じて客間を出て行った。
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