第二章

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 なんといっても系列組織内でも指折りの人脈の広さを誇る車田である。  おい判ったぞ、とじきに得意顔で現れると予想していたのに、二十分掛かっても彼は戻って来ない。さすがに二那川も違和感を覚えたが、ここは待つしかない。若い衆が気を揉んでコーヒーや菓子の追加を問うてくるも、甘い物の嗜好がないので断った。   待って半時間になろうかという頃、子分が開いたドアの向こうから現れた車田は、先刻までの気さくで陽気な様子とは一転、厳しい気配を漂わせながらソファにどっかりと座った。何かまずいことが判明したのかと二那川も居ずまいを正した。 「二那川ぁ。こりゃちと厄介かも知れんぞ」 「厄介なんですか? 叔父貴も聞いたことがないような小物のやくざが?」 「それがな、府中の内部に詳しい関東の親分にまず電話したんじゃ、二十七年前にお勤めしとった須之内次郎っちゅう極道を知らんかと――したら名前を聞くなり、声が変わった。どうもな……どえらいことらしい」 「どえらいこと? なんです、それは」  車田はソファの肘置きに右肘を預けて躯を傾けると、目の前で実体のない雲を掴めと云われているような、納得のいかない様子で二那川を見つめた。 「親分も詳しくは知らんらしいんじゃが、なんでも須之内は十五年ほど前に県警のキャリアを強盗で殺して、その場で自分も死んだ犯人じゃと。あんまりでかいヤマなんで、警察庁の上層部でも都市伝説ちゅうか、タブー扱いじゃと云うんじゃ。親分は府中に出入りした知り合いが多いから耳に挟んどるだけで、須之内のおった組もとっくに消えて面子が死んどるし、わしらのような他の系列組織にはまず広まっとらんじゃろうと話しとってじゃ。実際、わしはそんなニュースを見た覚えがひとつもないし、噂も届かんかったんじゃが。お前はどうじゃ?」 「ありません。そんな大事件なら全国紙一面のはずですよ。それに組のなかで聞いたこともないですね」 「そうじゃろ? 話上手な親分じゃけえ、こりゃあ大袈裟に脚色しとるんじゃろう思うて、定年退職した馴染みの元刑事部長にも確かめてみたんじゃ。ところがじゃ、どこでそのヤマを知ったのか、とこれも気色ばんだ答えじゃっての。犠牲者の名前も、警察内でさえ不明だと言うとってじゃ。よっぽどの圧力で揉み消されたんじゃろう」 「警察内でも伏せられるような、圧力ですか……」  警察幹部の親族が起こした不祥事などが伏せられやすいのはよくあることだ。しかし幹部が強盗に殺されるという、いわば完全に被害者の立場なのに、なぜそうまでして揉み消されねばならなかったのか。殺された側にも借金などの瑕疵があったのならばともかく、キャリアという経歴の優れた人物がそうそう簡単に正道を踏み外すとは考えにくい。 「久城と、そんな大それたことをしでかすど阿呆が親戚なあ……どういうことじゃろうの。どうも腑に落ちんのう」  車田が言外に呈している疑問は二那川もまさに言いたいことであった。  すなわち、そのようなエリートを強盗で殺したという粗暴な須之内と、怜悧な久城が叔父甥というのは、義理の縁にしても考えにくいのだ。この両名の、どこが親戚なのだろうか。腕を組んで唸った車田が、二那川に目線と問いを投げた。 「このことを横河は知っとると思うか、二那川?」 「須之内が誰をどこでどう殺したかの詳細までは知らなくとも、事件を起こしたこととその場で死んだこと自体は聞き及んでいそうな気がします。時々連絡を取り合っていたそうですから」 「ありそうじゃのう。横河め、なんでこうもヤクネタを持ちこんで兄貴とお前に迷惑ばかり掛けくさるんじゃ、あいつは……」  葉巻も忘れて額に手を遣った車田に、二那川は深々と謝った。 「隙を見せた俺に原因があります、ご心配掛けて申し訳ありません。何とかケリつけて見せますので」 「わしに謝らいでもええ。心して掛かるんじゃぞ、二那川。警察が隠したがるのはよほどのことじゃ。これは年寄りの勘じゃが、どうも、とんでもない何かが潜んどる気がしてならん――横河が虎の尾を踏んでヘマしくさるのは勝手じゃが、お前らまで巻き添え食って大火傷したら何にもならんけえの」 「心得ています。ありがとうございます」 「何かわしに出来ることがあったら言ってこい。遠慮はいらんけえ」 「はい」  義理も人の情も重んじる車田の、心底からの労わりが今は有難かった。  二那川は玄関でも改めて丁重な挨拶と礼を述べたあとに、車田とその若衆一同に見送られ、邸から車で去った。
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