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第三章
――いったい、ここに連れて来られてから何日経っただろうか……
久城は朦朧と記憶を探った。
記憶違いでなけば、五日は経過しているのだが……
横河が大阪市内に複数所有する家のうち、目立たない小規模マンションに久城はずっと監禁されていた。
以前から横河の女性関係の評判が極めて悪かったため薄々想像はついていたが、経験が浅いらしい同性の久城相手だとさらにひどく、何の準備もなく力に任せて実行しようとすることもしばしばだった。
だが、成功率が低いことに久城が気づくのに時間は掛からなかった。横河の躯が男として機能しにくく、したとしても持続しないか、タイミングがずれる。同性だからこそ、その衰えが単に年齢が要因ではないことは見分けがついた。おそらく前立腺の病に罹っており、そのせいで男性機能を薬に頼っているに違いなく、それを久城に悟られたと知った横河はますます荒れ、残虐になっていった。
「この淫乱が、わしと二那川と比べたな!? そこいらの売女以下や、お前は!」
頬を平手で張るなり久城をベッドに押さえつけ、両手をベッドサイドに縛りつけた横河が、顔を真っ赤にして怒鳴りたてる。
はっきり言って、生活習慣病だらけの小柄な六十代男が、四十代になったばかりの長身精悍な二那川にどう勝とうと云うのか。横河の自惚れが久城には片腹痛くてならない。比較するという行為は両者を同じ土俵に立たせるということに他ならず、それ自体が二那川への侮辱になる。そんなことをするものか、と久城は内心で軽蔑していた。
だが常に二那川の存在を意識し、勝手に劣等感にまみれている老人は比べられていると一人勝手に決めつけ、怒り狂う。
「さんざん二那川に啼かされてきたくせに澄ました顔をしくさって、どこまでお前らはわしを舐めるつもりや、若造どもが!!」
自身の代わりに物でいたぶり抜こうと決心したのだろう老人は、趣味の悪い色と形をした性具をいくつも取り出し、ローションをろくに塗りもせず久城の躯にいきなり押しこんだ。
「っ――!!」
この事態を見越して密かに準備していたつもりだったが、突然の侵入に背筋が緊張と痛みで強張った。
奥歯を懸命に噛んで悲鳴を耐えても雑に掻き回され、よけいに激痛が広がる。気を失いそうだ。こめかみに脂汗を滴らせながら、後で薬が要るな、と妙に冷静なことを久城はぼんやりと考えた。
「啼いてみい、女も抱けん役立たずが! 男を買うたところで同じよなあ、お前はお袋のように山ほど男を咥えこむほうが好きなんやからな」
「………!」
「なんやその目は、淫乱のくせにわしに一人前に逆らおうというんか、ああ?」
鼻先を擦りつけるように横河が嘲笑を浴びせてくる。この男が喧嘩を吹っ掛けるときの癖だ。こみ上げる嘔吐感をやり過ごすのが精一杯の久城は答えなかった。
運よく自身で抱けても、あらゆる性具を使っても、まったく反応しない久城に横河は苛立ちを募らせていた。足の付け根を直接刺激してさえ、久城の躯は一度も達することはなかった。
年齢が三十代であること、二那川と長く続いていることから久城の機能面が原因でないのは横河も判っている。それが老人のコンプレックスと被虐心をますます煽っていると充分に理解していても、久城本人にもどうにもならない。
横河の性技が相手への気づかいも何もない、身体を傷つけるだけの乱暴で一方的なものだったのもあったし、凌辱行為が終わるたびに吐くばかりでろくに栄養が摂れていないのも影響している。
そして何より、精神面が横河からのあらゆる性的接触を拒絶していた。
久城の欲が時おり同性に向かうのは生来の嗜癖ではなく、須之内と母の経緯が原因であった。
意識の狭間を突かれた瞬間に、女性たちが持つ“子を孕む”性が母に重なってしまう。すると久城の躯は、生命を創ることにつながる、女性との行為そのものを躊躇い、受けつけられなくなる。それでも人肌が欲しければ、男を買うしかなかった。シマには、同性愛者の集まる店もある。高級店に数えられるクラブから人を寄越させるのは、難しい話ではない。プロの青年たちは、金で快楽を捧げる仕事を完璧に果たした。
女性との交歓に難のある虚しい身であろうと、だからといって男性であれば無条件に交われるわけではなく、組み敷かれる側になったなら尚更であった。二那川だから受け容れ、肌身が彼に従うに過ぎない。
この男は何もかも勘違いしている、母のことも、俺のことも――久城は心中でつぶやく。
男女を問わず、心が許していない存在に力ずくで身の裡を侵されることがどれほど不快で、当人の尊厳をずたずたに切り裂くものであるかを、我が身に起こってみて久城は痛感した。できればこの老人を殺してしまいたいくらいに口惜しく、そうしたところで我が身に起こったことは消せない現実に眠れぬくらいだったが、糸一本の細さで繋がった理性がそれを喰い止めていた。
すなわち、己が横河の側にいることで二那川のためのヒントが何か得られるかもしれないこと。この男は相手がもっとも嫌がることを嗅ぎ分けて実行するのは長けているが、シノギに関してはさほど賢くない。近くで過ごせばいつかはつけ入る隙が生まれるはずだ。
そして、二那川が助けてくれるはずだという一縷の望み。彼は反目し合っている叔父に舎弟を攫われて黙っているような男ではないから。
彼に再会できる前に命が尽きるのではと諦めてしまいそうな、肉体も精神も鑢で削られる辛い日々であったが、それらを支えに久城は長い一秒一秒を乗り越えていた。
そうだ、あの日の、あの瞬間の絶望に比べれば、この屈辱なぞ、まだ――
気を失う寸前の久城がどうしようとも達さないとようやく諦めた横河が、早口の罵語を吐き捨てた後でベッドを離れた。
激痛で身を起こすのも辛かったが、これだけはと前から用意していた台詞を、久城はのろのろとシーツに肘を突きながら絞りだした。
「叔父貴……」
「なんや、うるさいわ! さっさと行け、わしかて忙しいんや、今日は終いや!」
それは見栄ではなく、横河は忙しそうではあった。野脇の舎弟頭という貫目は外面に役立つもので、久城をいたぶる合間にもしょっちゅう知人との会合やゴルフに出かけている。どこの誰かまでは教えられていないが、顔もそこそこ広い男である。宴席には苦労しないのだろう。
久城は横河の怒声を聞き流し、続けた。
「親父さんに、私を借りた理由があったでしょう。進捗をときどき報告するよう親父さんに言われているんです。私に何もさせないままでは、疑われますよ」
「なんやて、兄貴が!?」
嘘だった。横河を信頼している野脇はそんなことを久城に命じてはいない。
しかし野脇の、豪快でありながら隅々にまで目を行き渡らせる性格を知っているからこそ横河は迷い、本当のことだと勘違いしたようだった。
「くそっ、仕方あらへんな。田中に話通しておくわ、奴経由で適当に言うとけ!」
うまく行った――久城は肩の力を密かに抜いた。
間接的といえど生存確認にもなる随時報告ができるようになれば、死に至るまで苛まれる危険を少しは減らせたことになる。
横河は久城の安堵を看破したか、部屋から出て行きかけたのをわざわざベッドサイドまで引き返し、にやっと嫌らしい顔つきになった。
「どのみちあと十日と少しや。覚えとるか、久城?」
「………っ!」
横河は久城の蒼白を見て、皺だらけの頬をさらに吊り上げた。
「そうや、お前が須之内も殺してなんもかんも燃やした、あの日やで。その時に、お前も二那川も葬ってやる。楽しみにしとくことやなあ」
……葬る?
自分はともかく、相月のシノギを先に潰して二那川の優位を覆す程度で、なぜ葬るという極端な表現になるのか。意味の通らない、大袈裟なことを言うものだ――
久城は訝しく首を傾げたが、横河は言うだけ言うと満足したのか、下品な足音を立てて部屋から消えた。
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