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城まで丘を越えればあと少しというところで、丘の向こうに黒煙が見えた。
それから遠く離れていても響いてくる未知の喧騒。
ふたりが目配せと僅かな言葉で頷き合い、カーライルが客車を降りた。
「お嬢様はアドニスとここでお待ちください。様子を見て参ります」
「様子をって……こんなの絶対変よ。急いで帰らないと!」
「だからですお嬢様」
カーライルが首を横に振った。
「あの丘の向こうで起きている事態が……城にいる人間で対処しきれない状況なのであれば、それがなにであれ私たち三人にできることはありません。ここでお待ちください」
「そんな……」
彼の言葉は変わらず静かで丁寧だったが、有無を言わせぬ雰囲気があった。
「お嬢さん、少し馬車を移動します」
カーライルが走って離れていくと同時にアドニスが馬車を操って街道を外れた目立たない木陰へと移り、息を殺して様子を伺う。
いつも軽薄な笑みを浮かべているアドニスが真剣に周囲の気配に気を配っていて軽口も叩かない。その姿から今は非常事態なのだとひしひしと感じる。
お父様とお母様は今頃なにをしているのだろう。城下町の住民は無事だろうか。メイドたちのことも気になる。なにもかもが不安だった。
陽が傾くにつれて、空が夕焼けとは別の赤みを帯びていることに気付く。
「ねえ、なにが起きてるんだと思う?」
言葉を選んでいるのか、私の相手などしている余裕がないのか。彼の返事は沈黙だった。
「ねえってば」
苛立って語気を荒げそうになったところで彼が小さく、しかし鋭く「伏せて」と言って片手で私の肩を掴んで引き倒した。
うめき声が出そうになるのを必死でこらえ草むらの隙間から丘のほうへ視線を向けると、複数の騎兵が城のほうから街道を駆けてくるのがみえた。
見慣れない鎧姿だ。きっとこの領の兵じゃない。
「まだ死んでいないはずだ! 二手にわかれて探せ! 絶対に逃がすんじゃないぞ!」
隊長格と思われる男の怒声が飛ぶ。
「お嬢さん、ここはまずい。こちらへ」
アドニスに引き起こされて口を挟む間もないままに森の奥へと手を引かれていく。振り返ると数騎が近づいてくるのが見えた。
「恐らく馬車が見つかりました。でも馬でこの森には入れないし降りてもあの鎧ならこちらのほうが早い」
「わかったわ。でも、カーライルはどうするの?」
「無事なら追ってくるでしょう。目印は残してあります」
「そんな……」
私の手を握る彼の手に少し力がこもる。
「お嬢さんわかってください。相手はただの兵卒かせいぜい俺と同じ見習いですが、多勢に無勢です。あの場で馬車とお嬢さんを守って戦っても勝ち目はない」
空いている片手で草をかき分け前を進んでいたアドニスが足を止めた。
「憶測で判断すべきではないんですが、かなり厳しい状況が予想されます。今はご自分が生き延びることに全力を尽くしてください」
絞り出すような苦渋の声だった。
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