領主の娘と見習いの騎士

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 少し熱くなった手のひらとその声で、彼も不安で苦しいのだとようやく理解した。  それでも気丈に冷静に振る舞っているのは、私を守れるのはもう自分しかいないという責任感なのだろう。  私は彼らを信頼も気持ちを推し量りもできなかった気恥しさを振り払えず、視線を落とすと小さく頷いて「ごめんなさい」と消え入りそうな声で言うのが精一杯だった。 「ははは、気にしてやしませんよ」  私に気を使ったのか、彼はいつものように軽い調子で言うと、再び森の茂みを進もうとしてすぐに足を止めた。 「伏せてっ」  突然強く手を引かれ転ぶように伏せる。と同時に三方向から矢が飛来しアドニスへと突き立った。 「アドニス!?」 「ぐううっ……そ、そのまま動かないでっ」  左肩、左わき腹、そして右目に矢を受けた彼はそれでも怯むことなく、苦痛を押し殺す呻きをあげながら私を置いて駆け出した。  伏せたまま恐る恐る顔をあげると先ほどの騎兵と思しき男たちがすぐそこまで迫っている。  当然馬はいないし鎧も着ていない。私たちを追うために捨ててきたのだ。  アドニスは剣を抜くと刺さっていた矢を短く切り落として姿勢を低く敵に突進する。  三人の敵は横に広がっていた。まっすぐ真ん中へ駆けて行ったアドニスは急に向かって右の男へと向きを変える。けれどもその動きは予測されていたのだろうか? 正面の男はアドニスの左側面、左側に居た男は背後へと慌てず包囲を狭めていく。  囲まれる。  私がそう思った刹那、彼は一瞬で踵を返すと背後に迫っていた敵に身体ごと突っ込み剣を突き立てた。鎧のない腹を貫通して背中に切っ先を覗かせる。  急な反転に虚を突かれたのか残りふたりがたじろいだそのすきに、彼は誰もいない真横の茂みへ駆け込んだ。三本もの矢を受け目も身体もとても痛むだろうにその機敏さは訓練で見ていたときよりむしろ鋭く力強い。 「そいつはもう駄目だ! あの小僧を追え!」  倒された男の様子を伺おうとしていたひとりに、もうひとりが怒声を飛ばしてふたりでアドニスを追う。やはり傷が痛むのだろう、彼はさほど離れないうちにぐらりと揺らいで減速し、目の前の木に縋るように手をついた。  そこに追いついたふたりが彼の背後と右後ろから同時に剣を振るう。  しかし空を斬る二本の剣。  絶妙の間合いで目の前の木を蹴って飛んだアドニスが、宙返りしながら背後にいた男の延髄を切り裂いて着地する。ふらついて見せたのは攻撃を誘う罠だったのだ。  しかし矢の痛みを押してここまでの立ち回りをみせたアドニスも限界だったらしく、着地の衝撃で今度こそ本当によろめく。  右後ろから斬り付けていた男と立ち位置が入れ替わり逆に左背後を取っていたが、それは右目を射られたアドニスにとっても死角。一瞬遅れて顔を向けたところに左の裏拳が振るわれた。  今度こそ本当に躱せなかった。  左こめかみを鉄甲で痛打されたアドニスは近くの木に激突し、そのまま体重を預けるように崩れる。
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