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「今年も、りんごが豊作でよかったわね」
私は小さな馬車の客車で夢見心地に溜息を吐いた。もうおなかいっぱいだ。
毎年行われる隣町のりんご祭りは心待ちにしていた祝祭のひとつだ。
普段はお父様とお母様も一緒なのだけれど、今日は朝から難しい顔をしていらして私だけでの参加になった。
お供は騎士見習いがふたりだけだったけれど、中年の職業騎士が何人もついてくるよりは歳も近いし気楽でいい。
まあ大人には色々事情があるのだろうし、私だってもう十五歳になるのだ。お父様の名代くらい勤められる。
それに名代とは言っても預かってきた書面を読み上げて町のひとたちに挨拶するだけ。あとは勧められるままりんごを使ったお菓子を食べ放題。
「町民たちは喜んでいましたけれども、さすがに少々食べ過ぎでしたのでは」
眼鏡の美少年、カーライルが沈痛な面持ちで私のおなかへ視線を向けた。反射的にひゅっとおなかに力を込めて睨みつけると彼はすいっと視線を馬車の外へ逃がす。
「そうやって力入れてりゃちっとは消化も早いかもしれませんね」
御者をしている三白眼のアドニスがやや砕けた言葉づかいでケケケと笑う。
「もう! 不敬よ不敬! 騎士団長に言いつけるわよ!?」
「お前んトコの見習いが祭りでりんご菓子食べ過ぎてパンパンになった腹を凝視してきて不敬だとでも言うんですか? 自分の首を絞めるだけなんじゃ……」
「アァドォニィスゥウ」
少々淑女らしからぬ声を出して睨み付けると彼の首がしゅっと縮んだ。
「じょ、冗談ですよ冗談。へへへやだなあお嬢さん」
「まったく……いいから淑女のおなかを凝視するのはやめてちょうだい」
「淑女は暴食などしないのではないかと思いますが……」
「カーライル、淑女の上げ足を取るのもやめてちょうだい」
「仰せのままにお嬢様」
彼は目を伏せて半笑いで頷いた。まったくふたりとも領主の娘である私に対して敬意ってものがない。
とはいえ、こんな和やかな空気でいられるのも彼らだからに他ならない。両親や騎士団の面々が同乗していたら窮屈とまでは言わなくとも、こんな砕けた会話はできなかっただろう。お城に帰るまでもう少しのあいだだけは羽根を伸ばさせてもらおう。
けれども、もう私がお城に帰ることは、なかった。
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