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柳田弁護士事務所は同じ大潟市内でも駅前から徒歩で二十分ほど行った、入り組んだ路地沿いの雑居ビルの二階にあった。
受付で守谷の名前を出すと「ああ聞いてる」と、窓際の席からそっけない声が響く。柳田隆典だ。法廷で見かけた半分白髪になった険しい顔つきの眼鏡の男性が分厚い革の本を開いていた。
恵海は受付の女性に奥のパーテーションで区切られた応接スペースへと案内された。駅前で警官が配っていた轢き逃げ犯の目撃情報を求めるビラを慌てて鞄に突っ込み、出されたお茶を飲んで気持ちを落ち着ける。一分ほどで柳田がやってきて対面に足を組んで座った。
「お忙しいところ申し訳ありません。中能新聞社の里仲恵海と申します。守谷は私の先輩で、柳田さんにはお世話になっていると聞いています」
「世話するようなことは何もしとらん」
一瞬で守谷と同じ人種だ、と感じたのは何も言葉や態度だけではない。
「で、モリさんに何て言われてここに来た?」
「何も。名刺を一枚ぽんと渡されただけです」
ふん、と鼻を鳴らすと柳田は不機嫌そうな態度を見せる。
恵海は気圧されてはいけないと手帳を取り出し、そこに列挙した質問項目の一番最初のものを口にした。
「こういう裁判はよくあるんでしょうか?」
「こういう?」
「えっと、被告人が名前を名乗らずに黙秘を貫いているケースです」
柳田は「ちょっと地井さん」と受付にいた丸顔の女性を呼びつけ、分厚い資料ファイルを持ってこさせる。彼はそれをぺらぺらと捲りながら「色々なケースがあるが」と、それをテーブルの上に置いてこう続ける。
「そもそも刑事訴訟法六十四条二項には『被告人の氏名が明らかでないときは、人相、体格その他被告人を特定するに足りる事項で被告人を指示することができる』とある。名前でなくとも裁判長が起訴状にある被告人本人だと認めることにより、審理は進められる。だいたいは添付写真により本人と確認するのが通例だ」
「名乗らないのは接見時からずっとですか?」
「ああ。犯行そのものは認めている。事件については知っているね?」
頷いてから、恵海は右のこめかみを軽く叩いて記憶を引っ張り出す。
「事件が起こったのは今年の一月十五日深夜から十六日未明に掛けてと推測されていて、第一発見者である新聞配達員の中根真一は被害者マンションの駐車場を訪れて、そこに倒れている喜多川賢介を発見、すぐに通報しています。救急車で運ばれましたが既に息はなく、病院で死亡が確認されました」
「その通りだ。当初は自殺か事故の方向で考えられていた。何故か?」
「部屋のテーブルの上に飲み残しのワインとグラスがあったことと、ベランダに脱ぎ散らかされたスリッパがあったこと、パソコンに残されていた未送信メールに『もう終わりだ』と書かれていた等です」
そのやり取りはまるでいつも守谷とやっている確認作業のようだった。
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