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「ではそれが何故殺人事件となり、ガイシャが逮捕された?」 「事件当日夜は酷い吹雪でした。マンションの住人の何名かが何かがぶつかったような大きな音を聞いていますが倒木や雷、何か物が飛んできたのだろうと思って、誰も外に確認には出ていません。後で監視カメラ映像に死亡推定時刻である深夜二時に足早に立ち去る不審な人物が映っていたことから、その人物を探し任意同行したところ殺害を自供した、ということですね?」 「記事の丸暗記は得意なようだね。それじゃあ何故被告は自分の名前について、いや、自分自身のことについて語ろうとしない?」  じっと頭の奥の方を覗き込む目だった。国選弁護人の中でもやり手と評価されているらしい柳田は、自分の娘ほどの年齢の恵海のことをどう思っているのだろう。つい「分かりません」と口にしたくなったが、そこで一旦思い留まり、自分なりの今の答えをぶつけてみる。 「自分の名前を言うことで誰かが不利益を(こうむ)るから、ですか?」  柳田は首を三十度ほど曲げ、スーツのポケットから使い古された手帳を取り出すと、それをぺらぺらと捲る。 「被告人は向井田晋助(むかいだしんすけ)と名乗り、アパートに入居していた。仕事はフリーのプログラマをやっている、と大家には語ったそうだ。実際、被告のパソコンからは幾つか仕事先とのやり取りのメールが見つかっている。それによるとピーコックという名前で外注のソフトウェアの仕事をやっていたらしいことまで警察の捜査で判明している。黙っていても素性はバレる」 「その向井田が彼の本当の名前なんですか?」  ――本当の名前を呼んで下さい。  そう言った彼のことを思い出す。 「いや。これは偽名だった。他にも幾つかの偽名や買い取った戸籍を使い、別人になりすまして被告は生活していた」 「じゃあ本当の名前は誰も知らないんですね?」  ため息をついた柳田は立ち上がり、胸ポケットに手を入れる。そこから出てきたのは煙草だ。 「柳田さんはどう考えているんですか、名前の件」 「そうだな」  紙タバコを一本咥え、そのまま柳田は天井を見上げる。 「被害者との関係は何も分かっていない。喜多川は海外の偽ブランド品を輸入してネット販売していた。他にもアングラな仕事に関わっていた形跡もある。だから何かしら二人の間にトラブルがあったのだろうというのは、警察の方でも考えているよ。ただ分からん。話してもらえないことにはこちらもそれ以上調べようがない。そもそもだ。法廷というのは真実を暴く場じゃない。法を犯していれば裁き、それに対しての刑罰を決めましょうというだけの場所だ。真実どうこう言いたいなら、それは(むし)ろあんたらブンヤの領分だろう? そうじゃないか」
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