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 第二回公判でも留置番号一〇四番は自分については黙秘を貫き、喜多川賢介殺害の事実のみ認めた。柳田弁護士の見立てでは情状酌量(じょうじょうしゃくりょう)もなく、執行猶予(しっこうゆうよ)もつかずに検察の求刑通りの判決となる見込みだということだ。裁判員による合議制となったことで動機部分の解明が進めば幾らかの減刑も望めただろうが、それすら考えていない強い意思のようなものを被告から感じると柳田は語っていた。  恵海は桜も散り始めた四月初頭、別件の取材で河川敷の傍にある藤岡食堂という古い看板を掲げた店を訪れていた。 「今日はお世話になります。中能新聞の里仲です」 「ああ、聞いてるよ」  答えたのは厨房で太い腕を動かして野菜を刻んでいる店主の藤岡正行(ふじおかまさゆき)だ。まだ夕方の開店前の仕込みで忙しそうだ。奥からエプロン姿の奥さんが出てきて、カウンター席に座った恵海にお茶を出してくれた。二人とも恰幅がよく、奥さんの方はにこにことした笑顔が印象的だ。ただ肌の色か、目元の雰囲気だろうか、日本人とは少し異なる空気があった。  店舗はカウンター八席、テーブル十二席のこじんまりとした店で、壁には定食を中心としたメニューが貼られ、夜はお酒も出しているらしい。ネルガ料理と赤字で書かれていたが恵海にはそれがどんなものか想像つかなかった。 「こちらではもう三十年も子ども食堂をされているということですが」 「ああ。俺の母親の代からだよ。困ってる子どもを見ると放っておけない人でな。当時は出稼ぎのブラジル移民が増えていたのもあって、そういう子どもたちにただで食わせてやってたんだ。子ども食堂なんて名前すらなかった頃の話だ」  刻んだ野菜はどんどん大きな中華鍋に放り込んでいく。その隣では奥さんが沢山のスパイスをボウルに入れて何かの準備をしていた。 「藤岡さんはそれを引き継がれた訳ですね」 「そんなつもりはなかったんだが、まあこいつと一緒になった縁てのもあってな」  どういう意味だろう、と小首を(かし)げたところで奥さんが少し(うつむ)いて話してくれた。 「わたしも小さい頃、ここで世話になったんです。移民二世で、元はネルガという国の出身です」  ネルガとは国名だったのだ。 「今はネルランディアという国名で呼ばれています。三十年ほど前に大きな内戦があって、今でも政情が不安定なままです」  と、鼻先を独特の香りが(かす)めていく。甘い、とも違う。ただどこかでよく嗅いだことがある匂いだ。野菜を炒めた鍋に混ぜているスパイスだろう。けれど料理とは違って、恵海の記憶の片隅で何かぼんやりとしたシルエットが浮かび上がった。  ――あなたのおなまえは? 「ネルガでは日本のように名字はありません。戸籍というのもこちらに来てから知りました。結婚する時に驚いたものです」 「名前しかないんですか?」 「はい。名前と、親の名前を並べて、一つの名前にします。わたしの本当の名前はユン・ネ・ココと言います。今は藤岡ココです」
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